1分隊は、11~12名の4分隊で1小隊を編
するようになっていた。円形の日輪兵舎は直径8メートル位の円周50メートル程。従って隊員は、頭を壁側に向け足は中央に揃え枕元部分が約1メートル単位で区割され壁にはうす板2枚の整理棚が据つけられていて、衣服と私物一切をきちんと並べ固定。いつでも着替えて外出できるように整理・整頓しておかねばならない。時折り中隊幹部の巡視があるのでへまは絶対に許されない。棚には名前が添付されている。万が一下手な場合は、夜間点呼に呼び出されて説教はまぬがれない。
訓練期間は原則として3ヶ月で終了したら、早速満州に送り出す建て前で訓練。日輪兵舎は極質素、しかも地震の多い茨城で倒壊を防ぐ主旨から日輪兵舎(円形)にし、最小限に重みを減らす、いわゆる丸太材に杉皮の屋根、そして薄板の壁で雨風を防ぐ簡素そのもの。同時に寒さにも耐えうる五体作りの目的が秘められているのかも知らない。この一兵舎には50人(1ヶ小隊)収容が予定されている。いわゆる軍隊の初年兵教育同様少年たちの訓練日課は既に定められていた。
朝6時 起床ラッパによって起床 歯磨、洗面
6時40分 点呼
7時駈足 行軍(約40分)後乾布マッサージ(時々 行軍)軍歌で行進
8時 朝礼 朝食
9時 農耕実習 (週3回)別に幹部の指示によって(炊事・縫製・鉄灸・農機具・楽隊等の部活動がそれぞれ3~5名1組で割り当てられた。柔道・剣道・軍事教練(週一回)・食事当番は1日4名・風呂当番は1日1名
12時 昼食
午後零時半 再開
5時半 終了 風呂・休憩
7時 夕食
8時 点呼
8時半 自由・学習
10時 消灯ラッパによって兵舎の総ての電燈が消える。
われらは若き義勇隊
1.われらは若き 義勇隊
祖国の為ぞ 鍬とりて
万里涯なき 野に立たむ
今開拓の 意気高し
いま開拓の 意気高し2. われらは若き 義勇隊
秋こそ来たれ 満蒙に
第二の祖国 うち樹てむ
輝く緑 空をうつ
輝く緑 空をうつ
3.われらは若き 義勇隊
力ぞ愛ぞ 王道の
旗ひるがえし行くところ
見よ共栄の 光あり
見よ共栄の 光あり
3月入所以来訓練所に雪は降らなかったが、南国に生れ育った自分たちにとっては霜柱をふんで点呼や行軍をするには厳しい抵抗をしいられるのであった。寒さも去りしばらくすると桜の名所水戸の偕楽園に生れて初めての花見。花見客で一杯、話に聞いた満開の桜、花のトンネルをくぐるが如くまばゆく実に見事な花見だった。いやがうえにも楽しい花見のひと時を味わった。