ブラスニッカ社創業者の山田勇次さんは渡伯後、小学校に入学するが「自分より6歳も幼い子どもと学んでいてつまらなかった。授業を真剣に聞いていなかったら、怒った女性教師に耳を引っ張られ、彼女を殴って退学になった」と破天荒だった少年時代のエピソードを披露した。
若くして先見の明があり、20歳のとき土地を購入して独立した。バナナの単一栽培では水害や気候よる影響、値下がりなどのリスクがあると考え、マラクジャの栽培を開始。アメリカの冷夏によるオレンジの不作となり、代わりにマラクジャの需要が高まって成功したとか。
バナナの灌漑生産や直販ルート確立など、当時としては画期的な切り口で事業を進めた山田さん。「盛和塾を知る前から、稲盛塾長の教えである『常に創造的な仕事をしろ』というのをある程度は実践していた」という。成功者の考え方には通じるものがあるのかも!? (陸)