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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(17)

 6月末沖縄戦敗北が伝わった。従って古里沖縄は軍民全滅の予感が頭をよぎった。先年グァムやサイパン等南洋諸島の玉砕同様古里沖縄も激戦の果てに県民まで玉砕とはなんたることか、真の神国日本の威力とは一帯何時発揮するのか疑わしいやら悲しいやら信じ難い。佐藤軍曹もその後話はなく情報はとぎれたままで父母家族はどうなることやら、なんとか生き延びていてくれればよいのに、と心ひそかに念ずるばかりだった。部隊内で近日中に本土決戦が展開されるとの情報がしきりに流れ神国日本が絶対に敗けることはない、と必勝の信念を崩すことはなかった。

 3 日本の敗戦――玉音放送の衝撃

いよいよ8月1 5日、わが部隊内は昼食時間だった。小隊長佐藤軍曹は重要放送だと言葉少なく伝えた。いわゆる天皇陛下玉音放送がかすれ声でラジオから報じられたのである。あの天皇のかすれ声は充分理解できなかった。
 「…今後、帝国の受くべき困難は、もとより尋常にあらず。臣民の衷情も朕よくこれを知る。しかれども、朕は、時運の趨くところ、堪えがたきを堪え、忍びがたき忍び、もって万世のために大平を開かんと欲す…」との玉音のお声は、今尚はっきりと覚えている。そのお言葉の「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び…」が深く印象に残っている。
 とにかく耐えがたい心情で連合軍の指示するポツダム宣言を受諾、軍民隠忍自重を促すと云う天皇陛下の詔勅であった。私にとって故郷沖縄は玉砕し、心の悲しみも癒えない内に日本の武装解除とは一体どう云うことかと悲痛この上もない詔勅に身ぶるいを感じた。
 獣医訓練生は、まだ少年できわだった行動はなく沈黙と悲しみに誰一人口をきかなかった。しかし、部隊の上官たち数人が、部隊内に飼われていた豚を軍刀を持ち出して片端から切り殺していく姿を目のあたりにした。
 よく見ると豚は、首半分切りの頭を引きずりながら血を吹き広場を駆け廻っている。半殺し豚があちこちでぶっつかり合っていた。軍人魂悔し紛れの仕打ちと理解はするものの惨殺された豚の死に方はあまりにも惨い感じがした。一体どう云うことかと目を疑いながら眺めていた。なかなか死ぬものではない。天皇詔勅の反応がいきなり豚の惨殺につながったわけだ。
 実はその日の午後、わが部隊は軍馬を朝鮮方面へ移動する予定でその前日準備をしていたところだった。部隊の隣り合わせ(砂河屯)に飛行場があったので、その翌日にはロシア軍の飛行機が飛来してきて日本軍の武装解除を指示してきた。仕方なく銃剣、弾薬は提供したが馬はそのまま滞留にし、暁部隊長他部隊全員乗馬して河可子(カワカシ)(海岸の町)方面に移動することになった。