14日、FCバルセロナは、中国スーパー・リーグ、広州恒大のパウリーニョ(29)の移籍・獲得を発表したが、これが約1年前にブラジル国内で起きたのと全く同じ「ある反応」を全世界に引き起こしている。
パウリーニョのバルサ入団、しかも同チーム史上4位となる4千万ユーロという契約金でとの報道を聞いて、世界中のバルサ・ファンは驚き、または怒りの反応を見せている。
「なぜトッテナムを追われ、中国でプレーしている選手にそんな大金を?」「もう29歳の昔の選手になぜ?」「ネイマールを奪われ、気でも狂ったか?」―。ネットではそういう反応が目立つ。だが、ポルトガル語による反応だけが「メレッセ(相応しい)」との反応になっていた。
ブラジルでもちょうど昨年の今頃、代表チーム(セレソン)監督に就任したばかりのチッチ氏がパウリーニョを2年ぶりにセレソンに召集したとき、ブラジル人も全く同じ反応をした。「なぜ落ちぶれて中国に行った選手を?」「あの1―7の屈辱のイレブンの1人じゃないか」「いくらコリンチャンス時代の愛弟子だからってひどすぎる」。
だが、チッチ氏はパウリーニョを招集しただけに留まらず、不動の2列目のプレイヤーとして、同じくコリンチャンスの愛弟子で中国でプレーするレナト・アウグストと並んで先発で起用し続けた、その間、無難にパウリーニョは役目をこなし続けたが、その批判は今年の3月まで続いた。
だが、3月23日のW杯南米予選、首位を争っていたウルグアイとの試合で、パウリーニョは1人で3得点、つまりハットトリックを決め、一躍、南米中の注目を浴びた。その内の1本は、ペナルティ・エリア外からのかなり豪快なミドル・シュートでさえあった。
また、同28日の対パラグアイ戦では相手ゴール前でのボールの奪い合いの中、相手の目線をはぐらかす絶妙なヒールパスを二つ決め、それがフィリペ・コウチーニョとマルセロへの二つのアシストにつながった。
この2試合での高度なプレーをもってパウリーニョへの批判は消え、ブラジル国民もメディアも大絶賛に変わった。さらにそれが、バルサのみならず、バイエルン・ミュンヘンから目をつけられる契機にもなった。
パウリーニョは2012年に、チッチ監督のもとで南米一とクラブ世界一に貢献。セレソンでも13年のコンフェデ杯で優秀選手のひとりに選ばれ、イングランド名門トッテナムに鳴り物入りで移籍。だが、そこで不調に陥り、それが翌年のW杯まで続いた。
パウリーニョはイギリスのメディアに散々批判された挙句、流されるように2015年に中国へ渡ったが、そこでセレソン時代の恩師だったフェリポン監督と再会し、同監督が指揮する広州恒大に。ひそかに復活を願っていたパウリーニョは、レベルの落ちるリーグの中、恩師と相談しながら衰えないよう練習に取り組んだ。それが同チームのリーグでの圧倒的な強さにつながり、パウリーニョはその中でリーダー的存在となった。
その噂を聞きつけた、これまたかつての恩師のチッチ氏は、自身のスタッフでもある息子のマテウス氏に「おい。中国まで行ってパウリーニョがどんな活躍をしているか見て来い」と命じており、活躍を確認した上でのセレソン召集だったことも明かしている。
パウリーニョはセレソンでは調整用の親善試合でもひとりだけ先発出場から外されず、中国でも国民的人気の選手だ。フェリポン監督も今回は手放すのに難色を示したが、バルサからの評価額に胸をうたれた本人に、「バルサでプレーできるのはサッカー選手の夢」と訴えられ、諦めざるを得なくなったという。
南米以外のサッカー・ファンはまだ、W杯南米予選での「今のパウリーニョ」の復活の姿を見ていないから、彼らの不満もわからなくはない。だが、本人が「セレソンに戻るときもそういうことを言われたよ」といっているように、自信と余裕を持ってプレーできれば、今回のサッカー人生の大逆転劇でも、世界中のファンを再び説得できることだろう。(14日付グローボエスポルテなどより)
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