そこで、資金のメドを立てるために会長以下の全役員は、毎週日曜日に各隊員の各戸訪問をし、打診してみることにした。前年の7月から9月までの3ヶ月間、予備調査をし、その結果ようやく一人の代表を青年隊自力で送りだすことができる自信を得たのである。
しかしながら、それは単なる紙面での予算であり、確実な数字ではない。全伯に散在している青年隊一人一人に会って、直接調査と寄付依頼をするのであるから、並大抵の事ではない。その主旨、目的がいかに立派でも、それに伴う資金が実際に確保できるか、ということが問題であるからだ。
そうかと云って、今更、投げ出すわけにもいかず、先ずは「当たって砕けろ」だ。青年隊の名において、所期の目的を貫徹する決意を新たに役員一同一丸となって仕事を進めることになった。
こうして臨時総会で決まった代表は実態調査要綱の作成、役員一同は資金の募金を、と作業を分担し、10月の初日から一斉に活動を開始したのである。
5枚を一部とするガリ版刷りの調査用紙と写真機、8ミリカメラを駆使して、サンパウロ市を含む近郊に住む青年隊の各戸訪問を1月まで約4ヶ月をかけてかけ廻った。2月に入りゴヤィスを始め、マット・グロッソ、サントス・ジュキア各沿線、サンパウロ州奥地を巡った。
大多数の隊員は、仲間意識をもって、役員の労をねぎらい、募金に協力し実態調査を確実に提供してくれた。それは、役員にとっても大きな喜びであり、励みとなった。
かくして3月の中葉までに総走行距離1万キロ余を踏破して調査を成し遂げた。この強行軍は、役員諸君の不屈の協力精神があってこそ、成し遂げえたのであった。
代表の出発は、4月4日と決定されているためにあます日がなく、役員たちは実態調査用紙の集計整理を昼夜兼行で成し遂げ、会計委員は、未納者の徴収へ東奔西走して各戸訪問を決行した。
こうして自らは、代表として4月4日の出発の日を迎えることになったのである。代表派遣のために、こんなにも役員たちが自己犠牲的に活動し、会員たちが一致団結するとは、当の会長でさえ予想しなかった。実に涙ぐましい準備過程の結束に私は、益々その責任の重大さを感じるのであった。
そして是が非でもこの目的に挺身しなければならない、と堅い決意を新たにしたのであった。
7 沖縄での報告活動
わが青年隊移民は、ブラジル戦後移民のなかで特異な存在と云える。即ち6ヶ月間の合同合宿訓練で開拓精神を涵養した20歳前後の単独移民である。しかも沖縄産業開発青年協会と琉球政府、そして海外協会に移民金庫などが主体となって送り出し、導入受け入れを在伯沖縄協会が引き受けてくれたのである。
そのネットワークを考える時、送り出された青年隊移民が、現状の経過報告をすることは当然の責務であることを私は改めて痛感した。じっさい、移民青年隊は、自主的にそれを実現すべく個々の実態調査を実施し、それを母県の各関係機関に報告するために、今まさに代表を派遣し、その責務を果たそうとしているのだ。
さて私は、屋比久旅行社が企画した故郷への「観光訪問団」の一員に参加させてもらい、戦後見たことのない東京で1泊し名勝旧跡の「日光国立公園」徳川家康を祀った「日光東照宮」の観光もかなえられた。江戸時代の霊廟建築の粋が施されている素晴らしい東照宮は、話しに聞いただけで初めて目のあたりにした。「日光を見ぬうちは結構と云えない」の言葉をしみじみ感じたのであった。