移住青年隊の後続部隊が輩出しないのも、ここに一因あるのではないか。そして、対策の道も開けることができるのではないか、と胸に込み上げてくるものがあった。
私は、報告活動を終えるに当たって、沖縄産業開発青年協会、移住事業団、移住課の特別なお世話と御指導にたいし深く感謝の意を表し、厚く御礼申し上げた。
そして、政務と本土復帰の態勢作りに寸分の暇もない琉球政府主席屋良朝苗琉球政府主席、知念朝功副主席、翁長林正農林局長、野島武盛農林部長、仲地修康移住課長と玉城美五郎氏、仲松庸幸労働局長、星克立法院議会議長、具志堅興栄移住事業団沖縄事務所長、そして、瑞慶覧長仁沖縄産業開発青年隊協会理事長と平正義氏の諸氏からは、ブラジル移民青年隊へと録音テープを通じて、メッセージと激励の御言葉を戴いた。
そして帰国後の総会でテープを聞いてもらったが、全参加者が喜び感謝感激に絶えない状態であった。当時を思いおこしここに、改めて厚く御礼申しあげねばならないと思います。
屋比久旅行社の日本観光団と一緒のため沖縄到着は一週間おくれて、4月11日となった。沖縄に到着したその日からの私の活動日程は、つぎのようなものであった。私は、沖縄での報告活動終了して6月28日に帰省した。そして代表の帰国報告を兼ねて恒例の2月定例総会を7月11日に併催した。
それで90日に及ぶ代表現地報告を催し、役員改選の結果山城勇が会長に推挙された。青年隊留守家族からの依頼や言づけなど配布し、8~9月までブラジリアやカンポ・グランデまで帰国報告会を行って、一応の任務を果たし、代表派遣事業は終了させた。
翌10月になると、青年隊渡伯15周年の節目を迎え、同時に沖縄の祖国復帰、及びブラジル独立150年祭と二重、三重の祝祭が重なり、母県からは瑞慶覧理事長が参列することになった。そこで12月12日忘年会を兼ねた役員会に提案し、研究課題として提言した。この懸案事項のため1月24日再度役員会で検討の結果、理事長を招待し独自の15周年記念式典祝賀会を盛大に開催することを決定した。
従って、①その組織強化のため青年隊訓練所終了者は男女会員に勧誘すること、②青年隊主催の文化・スポーツ行事を催し、青年隊の組織の活性化を計ることを決議した。
早速手軽に行えるスポーツ、バレーボール大会から始めることにし、参加チームの募集を公表した。場所はカンポ・リンポ日本語学校校庭、期日は2月14日(日)午前9時と決定した。短期間に決定し、然も初めてのバレーボール大会でありながら、10チームが申し込み、盛大に成し遂げたことは、予想以上の成績で執行部にとって自信を得
ることとなった。
8 青年隊運動の展開― 青年隊行事の推進
すでに述べたように青年隊移民は、在伯沖縄協会が導入母体として隊員は耕地にそれぞれ入植させた。そのいきさつからして県人会は常に青年隊移民の一人一人の動静にも気を配っていた。
1957年以来10年以上経過した実態を母県の産業開発青年協に報告してはどうかという案が持ちあがり、独自の力でそれを成しとげた。いわゆる「代表派遣事業」である。
その一つの事業を実現させた意気込みが影響したのであろうか、その成果に自信を得て、サンパウロ市内及び近郊各支部に散在する戦後移民の若者や若い二世層を網羅した草野球やバレーボール、卓球などの親善交流のスポーツ大会を開催したのである。