「親が持てる限りのボキャブラリー(語彙)で、年齢に応じた言葉のシャワーを子どもに浴びせることが大事。豊かな語彙に親しんだ子供ほど、豊かな表現が可能になる。豊かな表現ができれば、微妙な差異を言葉で表現できるようになり、それを積み重ねることで論理的な思考能力を獲得しやすくなる。だから、親が自分の母語で幼少期の子供に語りかけ、親と同じ言語を子供の母語にするのが早道。母語を確立させつつ、第2言語を適時教えていくことが大事」―27日の南米日本語教育シンポジウムでは、複言語話者(バイリンガル)を育てる秘訣として、そんな方法が語られた。
子どもの頭の中に第2言語が加わることで、世界の出来事をより複眼的に見ることが可能になり、幅広い視野が養われる。日系人ならブラジルの西洋的価値観を土台にして、日本の東洋的価値観が加わり、世界で起きていることをより深く認識できるようになるはずだ。
1970年代ごろまではブラジルでも日本移民の家庭内で日本語が中心だった時代があった。この頃、二世は日本語だけの家庭で母語形成、人格形成をし、小学校に入って初めてポルトガル語(以後、ポ語)での学習をはじめ、血のにじむような思いで同級生に負けないように勉強した。その挙句に人口の0・7%しかいない日系人が、多いときにはサンパウロ州立総合大学の入学生の10%を占めるまでになった。
この時代の二世は本当に大変だった。勝ち負け抗争もあって日本人へのイメージが悪かった中を、真面目さと勤勉さを武器にひたすら「良きブラジル人」になろうと努力してそれを成し遂げた。
だが現在は、日系家庭の主要言語はポ語になった。家庭においてポ語でしっかりと母語形成をし、学校でもしっかりとポ語で勉強している子どもほど、第2言語である日本語が頭に入りやすくなるようだ。大事なのは脳の能力(以後、「脳力」)を年齢に応じて十分に発達させること。
「言葉」は自分の考えや感情を表す道具であると共に、脳力を鍛えるための道具でもある。脳力を発達させるには、言葉による「運動」が必要だ。ただ単に語彙が多いとか、文法に詳しいでは「歩く」「走る」「ボールを打つ」ような単純な運動のレベル。
それらを組み合わせて規則を守りながらチームプレーする「野球」などのレベルの複雑な運動に替えていくことが「論理的な思考能力」をつけることのようだ。その言葉が使われている社会の仕組みや文化、常識などを理解した上で言語を使いこなすレベルだ。
「脳力」を発達させるには脳の基礎的体力をつける運動をするしかない。体力がないと野球はできないのと同じだ。「走る」「ボールを見る動態視力」など基礎的な能力が十分に発達していないと、良い野球選手にはなれない。基礎的な脳力が育っていないと論理的な発想もできないし、倫理や道徳の大切さも理解できない。
ポ語でそこまでできていれば語彙を日本語の単語に置き換えていくことで、日本語教育はスムーズに進む。ちょっと皮肉な感じだが、日本語学習で一番大事なのは、まずポ語で「脳力」を鍛えること。母語たるポ語と、第2言語たる日本語をバランスよく教えていくのがコツのようだ。
言葉は表現手法であって、大事なのは表現する内容だ。表現する内容は、論理的に考えたり、ひらめいたり、脳力を最大限に発揮してこそ、興味深い内容が出てくる。表現手段だけこなれていても内容が面白くなければ、空虚になるだけ。まず論理的な思考能力ありきだ。
同シンポジウムでは「4歳からは8歳が母語形成期。この時期に家庭内で十分な母語形成がされ、脳力が発達していないと、日本の小学校に入ってから日本語で母語形成やり直すことになる。その分、学習速度が遅くなる可能性がある」という意味の説明があった。日本のデカセギ子弟の場合は少々複雑になるようだ。
2段階を考えなくてはならない。彼らは日本の公教育(日本語)に行く前に、ポ語でしっかりと母語形成をしなければいけない。その上で、日本の小中学校に入ってから、日本語に切り替えてからもう一度、母語形成、論理的な思考能力の発達まで持っていく必要があるようだ。(つづく、深)
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