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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(70)

 県人会では佐賀県人会からの案内状があって私は、沖縄県人会を代表して式典に参列、初めて井上武記者と対面することとなった。
 そして取材後のひと時を利用してわが家に案内一族に紹介し夕食を共にした。

 限られた時間のつき合いであったが、最近の若い二世たちに見られない規律正しい快活感溢れる青年と認めた。
 新聞社にとっても取材班の選抜には慎重を期しての選抜だろうし、若い青年が選抜されることにはそれなりの条件がかなっているはずだと思慮するなど、頼もしい青年として目に写るのであった。
 結局尚美は、はるか日本で一生一代最愛の男児に巡り合うこととなり、1995年10月福岡県の久留米市で結婚式を上げた。

 

 その婚礼への出席の折、新郎の武君のご両親のご好意により予想だにしない学問の神さまをまつる大宰府天満宮を参観させていただいた。

東風吹かば 匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れぞ

 有名な菅原道真公の和歌や世界最大級のカルデラをもつ阿蘇活火山などの観光までお世話頂き、感謝の念を深くしたのであった。

 そして、その足で母県の第2回世界のウチナーンチュ大会に参加し5年振りに故郷の皆様と旧交を温めることが出来た。私にとって1995年は、素晴らしい旅の年となった。

3 第42回国民体育大会・

海邦国体秋季大会への参加
会場:沖縄県総合運動公園
日時:1987年(昭和62年)10月25日
主催:日本体育協会・文部省・沖縄県

 本大会は、日本全国を一巡しての最終回大会であり、沖縄では初めて開催される国民体育大会であった。
 きしくも日本復帰15周年の節目でもあり、有意義な大会であった。

 昭和天皇は元気の中に是非沖縄を訪問したいとのことだったが、健康上今回も都合がつかずご名代として皇太子明仁親王殿下と同妃殿下のご臨席となり、全国各県代表選手団を迎え最大の大会が開催された。

 テーマを「海邦国体」とし「きらめく太陽・ひろがる友情」をスローガンに県民一体となって盛りあげた。
 当時のマスコミは連日大会情報を大々的に取りあげ沖縄にとってかつてないスポーツの祭典として海外県人(移住者)も招く計画で県体育協会の大里喜誠会長と石川秀雄事務局長がはるばるブラジルまで国体参観キャラバンで来伯した。

 1986年4月のことで、この機会に移住者の里帰りを督励し、県人会から招聘状まで発送し呼びかけるよう要請された。
 こうした呼びかけが功を奏し、188名の観光訪沖団を結成することができた。