県連故郷巡りスペシャル「ブラジル・ポルトガル・日本友好の旅」が9月17日から22日までHISブラジル・ツーリズモによって催行され、52人が参加した。山田康夫県連会長は「このツアーは通常、移民の故郷である地方の移住地を回るが、今回は特別版としてポルトガルに決めました。移民の故郷ではありませんが、ブラジルの故郷です」と説明した。西洋人で最初に日本に上陸したのはポルトガル人、ブラジルを発見して植民地にしたのもポルトガルで、日本人はブラジルに大量移住している。この3カ国の関係には、ただならぬものがある。そんな密かなる「三角関係」を探る旅になった。
第1グループは9月17日の夜行便でグアルーリョス空港を出発。約10時間後の18日早朝5時半、夜明けのリスボン国際空港についた。気温は17度と肌寒い。
空港内の表示も、空港職員の言葉もポルトガル語。本橋幹久県連前会長も「なにか、外国に来た気がしませんね」と言いながら楽しそうな表情。
10月21日に93歳になるスザノ福博村の大浦文雄さん(香川県)は、今回の旅の最長老だが、実にかくしゃくとしている。「ヨーロッパの国々はけっこう回ったが、ポルトガルはまだ。この機会を待っていたんだ。檀一雄の小説『火宅の人』、新田次郎・藤原正彦著『孤愁』も読んで準備した。今の世の中、テレビを見て何でも知っているような気がしているが、本で書かれた場所に実際に立ってみないと実感はできない」と興味津々の様子を見せた。
「1807年、ナポレオンにリスボン侵攻される2日前に、ポルトガル宮廷1万5千人が船でブラジルに逃げ出した。日本に置きかえたら考えられない歴史だ。日本とは違う民族だと、かねがね思って興味を持ってきた。そんなポルトガルと日本、ブラジル。この三角関係が今回の旅のテーマだな。ブラジルに住んでいるからこそ、ここに足を踏み入れて見てみたかった」と続けた。
セントロの一角のホテル周辺は、みるからにサンパウロ市レプブリカ公園周辺の雰囲気だ。昼からリスボン市内観光にバスで出発すると「アベニーダ・リベルダーデ」など親しみの湧く名前があちこちにあり、不思議な感じだ。
現地ガイドでポルトガル人のカルラ・カスチーリョさん(48)は「国の人口は1千万人ちょっとだから、サンパウロ市より少ない。小さいけど美しく古い国です」と紹介した。彼女はバスの窓の外を指し、「これが独立記念塔。1807年から1810年はナポレオンのフランス軍に占領されていたが、追い出した。それを記念する塔です」と説明。
でも、その侵攻おかげでポルトガル王室がブラジルに逃避した。だからブラジルは王を頂くことになり、植民地から「王国」へと昇格した。サルバドールではヨーロッパに近すぎて危ないのでリオまで南下し、そこに首都がおかれ、印刷所や図書館、学校、新聞社など〃文化の種〃が植えられた。二つの国の歴史は町の角々レベルで密接につながっている。(つづく、深沢正雪記者)
□関連コラム□大耳小耳
ポルトガルのポ語は基本は同じだが、細部は異なる。ブラジルでは冷たい水は「アグア・ジェラーダ」だが、ポルトガルでは「アグア・フレスコ」。レストランで「カフェ・ロンゴ」とあるので、ブラジル風に直訳すと「長いコーヒー」だが、現地では「大容量カップのコーヒー」の意味。ブラジルで「パステウ」といえば塩味の揚げ物だが、ポルトガルでは一般的に甘いお菓子を指すので、要注意だ。