日本財団の前身である日本船舶振興会は、競艇の収益を活用する受け皿組織として62年に発足。11年に現在の名称に改めた。年間予算はおよそ360億円といい、日本最大の公益財団法人として知られる。
海洋船舶関連事業支援、公益福祉事業、国際協力事業を主に、国境を越えた様々な社会問題の解決に取組み、40年以上に及ぶハンセン病制圧とその患者や回復者、家族への差別撤廃といった人道的貢献は、世界に高く評価されている。
同財団として初の国際協力事業は、日系社会への支援だった。77年にアマゾニア日伯援護協会の病院とペルーの天野博物館の両建設事業をきっかけに、これまでブラジル日系社会に対し13億円、中南米日系社会全体では80億円近くに上る巨額の支援をしてきた。
80年に新設された国際業務課初代課長となった緒方理事長は、当時、笹川良一初代会長と共にブラジルを訪れていたといい、「笹川会長は歴史に名を残した人物だけあって、明治のお爺さんというか、気骨を持った矍鑠とした人。いっぺん言ったら物事が揺るがない、日本人のいいところを持ち合わせたような人だった」と懐かしむ。
「戦前は中国大陸で活躍していたこともあり、同胞社会への思い入れが一本筋としてあったようだ」といい、在外同胞社会への強い思い入れがあったようだ。
手探りで事業を進めるなか、同財団で是としてきたのが『百の議論より一つの行動』――。「いくら会議しても、実行しなければ意味がない。議論する暇があればともかく行動。日系人に直接的に裨益し、やってよかったと思ってもらえるものに支援してきた」と本質を語る。
支援を決める際には「それを運営する人たちがどういう人かが大事。切磋琢磨し、互いに協力して運営していけるか」を基準としてきたとも。「建物を建てるのは簡単。問題はそれからだ。誰のためにどう運営していくか。きちんと活用され、皆の安心安全な生活に繋がり初めて我々の仕事が活きてくる」と語った。
最後に、今後の日系社会への支援について、「来年の移民110周年に向けて、記念事業を企画していると聞くが、それは皆が持ち寄ればできる話」とした一方で、「病気の制圧等その都度対処していかなければならない問題が続々と出てくるはず。我々からすれば日系人は同胞。困っていることがあれば相談に乗っていきたい」と見通した。