ポルトガル3日目、9月19日の午前、大航海時代に世界へ船出した出発点、テージョ川沿いにあるリスボン市内のベレン地区へ向かった。
インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマは1497年にここを旅立ち、ブラジルに1500年に到着したペドロ・アルヴァレス・カブラルも前年にここから船出した。大航海時代の港湾地区だ。
最初に見た「ベレンの塔」は、イスラムが攻めてこないように要塞化された灯台だ。マヌエル1世(1515―1520)時代に建設され、ここで軍が船の出入りを監視していた。ちなみに日本はまだ戦国時代、織田信長が生まれたのが1534年だから相当古い。
調べてみると、最初にリスボンがイスラム勢力(アラブ人)征服されたのは711年。1108年に十字軍によってキリスト教徒の手に戻ったが、1111年に再び攻略された。
1147年にレコンキスタの一環でキリスト教勢力に再征服されたが、北アフリカからは再三攻撃が続き、1186年には3千人の女性や子供がイスラム勢力に連れ去られた。そのような歴史から河口部にこのような灯台型の要塞が作られた。
1255年にリスボンはようやく首都になったが、それまでの1139年から1255年までは195キロ北に位置するコインブラが首都だった。そこからレコンキスタ勢力はリスボン攻略を進めたわけだ。当時の最重要交通路、テージョ川河口を護ることは、国家安全保障上の最重要事項だった。
この場所がヨーロッパのキリスト世界と、北アフリカのアラブ世界の最前線であることを「ベレンの塔」は静かに示している。
塔のすぐ川上にある、大航海時代の偉大な航海者たちを記念して建設された「発見のモニュメント」も見学した。現地ガイドのクリスチーナ・クラロさんは「大航海時代、このモニュメント付近に外洋船が停泊し、食料の積み込みなど旅の準備をした」という。
昨日のガイドから「今日のガイドなら日本人奴隷について知っているはず」と言われたので尋ねたが、あっさり「聞いたことないわね」と否定された。ブラジルと一緒で、奴隷の歴史に関しては「国の歴史の恥部」で、言いたくない気持ちもあるのだろう。
そのすぐ内陸側にある荘厳な古い建物が、歴史的建築物「ジェロニモス修道院」。塔も修道院もUNESCO世界遺産になっている。ヴァスコが船出した時代はここに船乗り向けの小さなカペラ(祈祷所)が建っており、「航海安全」をお祈りしてから旅立った。
東洋から持って来られた香辛料に加え、ブラジルを代表する銘木ジャカランダも彼らによって運び込まれ、リスボンのあちこちの街路樹として植えられている。
偉大な航海者たちは、この景色を眺めながら東洋や南米を夢に見て旅の安全を祈った。まさに、ここが三角関係の原点といえる場所だ。(つづく、深沢正雪記者)
□大耳小耳□関係コラム
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ヴァスコがインド航路発見という世界史な偉業を成し遂げて戻ってから、ドン・マヌエルはそれを記念して、小さなカペラをゴシック様式の荘厳な修道院に立て直した。だから、その入り口部分には、船乗りたちが虚実織り交ぜながら語った世界冒険談からインスピレーションを得た彫刻が刻まれている。船乗りたちが世界中を旅する中で犯した悪行などを懺悔するも、この修道院だったのだろう。そんな同修道院前には観光客がすごい行列を作って中に入るのを待っていた。この修道院のさらに川上に、昨日見たコメルシオ広場がある。まさにこの地区一帯は、大航海時代にロマンに溢れている。