長崎県人会創立55周年式典で最高齢だった来場者の樋口愛子さん(96)。実は1946年に勝ち負け抗争の最初の犠牲者となった溝部幾太の次女で、「父は母と子供3人とバストスに住んでいたが、私は嫁いだ先のポンペイアに居た。知らせを聞いて居ても立っても居られなかった」と心境を振り返る。
でも夫から「バストスに行くなら離婚だ」と言われ、樋口さんは泣く泣くポンペイアにとどまった。「父は『日本は負けた』と人に話していただけ。父だって戦中まで日本が勝つように毎日お祈りしていた。それなのに同じ日本人に殺されるなんて」というと言葉を詰まらせた。
それから70年以上が経ち、当時のことを話す機会は少なくなった。「今は県人会などで古い友人に会うのが楽しい。元気なうちはずっと参加し続けたい」と笑顔で話した。 (陸)