ホーム | 文芸 | 連載小説 | どこから来たの=大門千夏 | どこから来たの=大門千夏=(2)

どこから来たの=大門千夏=(2)

 一二〇×一七〇㎝の大きな額付きの絵を二人で両端を持ちあって、あのグローリア街の緩やかな坂道をエッサエッサと上り、時々前後、夫と入れ替わって背の低い私は肘を上げて道のコンクリートに額の石こうが触れないように持ち上げて大切に運ぶ。
「大きい事は良いことだァ…」と二人で歌いながら何度も何度も休憩しながら裁判所の横に出る。金色の額が真昼の太陽に当たって輝き、行き来る人が珍しそうに立ち止まる。人によっては親指を立ててうなずく者もいる。裁判所の横をしばらく歩くと、右にタバチンゲーラ街が始まる。この道を下り、最初の道を左に入ると、ここがシルベイラ・マルチンス通り。すぐ右手にわれわれが住んでいるアパートがある。
 汗だくになってアパートに着くと早速壁に取り付けた。この古いアパートは天井が高くて二人の結婚記念品はすんなりとおさまった。金ピカの額が付いていても「飽きのこない、邪魔にならない絵だ」とも「自己主張しないから落ち着く絵だ」と二人で満足する。
 壁一面を占領した絵は品格と教養を表わすはずが「もの好き」を証明しただけで、友人どもは「すごい大きいのを買ったなー」「どこからこんな大きいのを見つけた?」と言って誰も絵の事は褒めない。
「この額、ベルサイユ宮殿なみですなー」と冷やかす。
 友人の評にもめげず、我々二人は至極満足だった。二五コントで買えた結婚記念品。初めての教養ある「お買い得品」。安物のワインで乾杯して、絵のある部屋でお茶を飲み、食事をし、絵の下で語らい、新婚家庭は幸先良いスタートを切った。
 これから始まるブラジルでの人生行路、良いことがたくさんあるに違いない。
「終り良ければすべてよし」…いやいや「初め良ければすべて良し」…そのとおりのはずだった。

 あの日から四五年も経った。その間十数回引っ越しをし、其の度にこの大きな絵も一緒に歩いてきた。我が家の歴史をつぶさに見てきた絵だ。
 赤ん坊を抱いて産院から帰った日、子供たちの入学、卒業、喜びの日、幸せの日、夢を持った日、そしてある日、夫が入院のためこの家を後にした日、みぞれのように冷たい雨が降っていた。絵は二度と彼が帰ってこないことを知っていたのかもしれない。
それから数年のち、子供たちもそれぞれ伴侶を見つけて門出した。そして今、私は一人になってしまった。結婚から今日に至るまでのこの膨大な時間を私とともに生きてくれたものはこの絵だけ。
見ていると新婚時代の思い出、貧乏時代の思い出、夫との思い出が重なって、過ぎし日の一こま一こまがよみがえってくる。彼らのはち切れるような声まで聞こえてくる。
「飽きのこない、邪魔にならない、自己主張しない」この絵。時々「あなたのように謙虚で穏やかな老人を目指さねばね」と、話しかける。
 これからどのくらい先になるのだろうか、私が遠い旅に出る時も、きっとこの絵は静かに私を見守り、見送ってくれることだろう。(二〇〇九年)

拝西洋主義

 ジョンメンデス広場からタバチンゲーラ街を下って最初を左に入るとシルベイラ・マルチンス通りがある。一九六四年暮れ、ここに私達は新居を持った。