ここから丘の上を見ると間違 いなくあの家だ。この丘の頂上に向かって一直線に雨でえぐられた、でこぼこの土道があり、息を切らして登る。登りきったところに家は一軒もなく緑もない。あるのは吹き上げる風と赤茶色の土ばかり。この五軒長屋が左手にある。色とりどりにペンキが塗られ、これが童話に出てくるような家だって? 魔法使いのおばあさんだってこんな趣味の悪い家には住んでいない。
一番左の家は黄色――それも濃厚な黄色、二番目の家が真っ赤に近い赤茶色、三番目が濃いブルー、四番目が緑色、そして夫が買ったという一番右端の家は何とショッキング・ピンク色!
これでは見ているだけでも気恥かしい。あの家を買ったと言うのはもっと恥ずかしい。幅は六m、奥行き二五mに二階建てが建っている、という小さな家だった。
しかし家主は売るためにペンキ塗りをしたらしく、周りの塀は家と同じショッキング・ピンク、青、黄色に塗ってあり、二階のテラスが大きく玄関口まで伸びていて、このテラスを支える柱三本がピンク、青、黄色に塗ってある。
ベルを押すと良く太った善良そうな中年の男が出てきて、次に女房らしき大分年の離れた若い女が出てきてニコニコと愛想がよい。
鉄の扉を押して中に入ると長さ六mの車庫には赤いタイルがはってある。応接間の中は、手前の窓のある壁が青色、左の壁は濃い黄色、右の壁は怪しげなピンク色、見ていると目がくらくらしてくる。二階に上がる階段の柱も三色に塗ってある。これがポルトガル人の色彩感覚だ、と夫は知ったような事を言ったが、単にこの夫婦の好みであろう。応接間の奥は台所、洗濯場、その奥には女中部屋が二つあり、トイレもある。
二階には二寝室にトイレ兼シャワー室が一つ。ご夫婦も二階までは手が回らなかったと見えてここはすべて白い色に塗ってあったのが救いだった。
二階のテラスに立つと強い風が吹き上げ、雲ひとつない大きな空がたっぷりと広がっている。なだらかな赤土の丘がどこまでも続いて、ぽつんぽつんと人家が見える。所々ユウカリ林も見える。たったそれだけの、他に何もないお粗末なさみしい場所。眼下のバス道路を隔てて向こう側に、ここよりも高い赤土の丘があって、はるか向こうの尾根を時折車が走っているのが見える。「あれがアベニーダ・サンタ・カタリーナです」と主がいう。
かつて知人がサンタ・カタリーナ区の分譲地を買ったが、行くたびにピストルを持った六?七人の男に囲まれて、恐ろしくてとうとう払い終わった土地を捨てたという話をしていたが、それが今見える向こうの丘に違いない。
家の前は空き地で草ぼうぼう。その向こうにユーカリ林があって、その方角に太陽が沈む。周り一帯はすべて土道。アスファルトなんかどこにもない。へーこんな所に…町のど真ん中に生まれ育った私は唖然とした。
しかしお金がないのだからしようがない。我々に買えるのはこのあたりしかないのだ。ここが分相応なのだ。しかし夫にとっては「郊外の高台にある家」に住めることになったのだから満足の極み。
「何にもないところじゃあないの」
「それがエエねん、静かで」
「町から遠いなー」
「何しに町に行く」
全く馬耳東風とはこのこと、夫はこの家がすっかり気に入ったようだった。そうして手回し良く一ヵ月もするとここに引っ越してきた。