明治の日本を見たければブラジルに行け―。日本からの移民が、来伯当時の日本の文化や概念、言葉をそのまま子供達に伝えてきた事を窺わせる表現だが、最近、それを思い起こさせる会話が何度かあった▼一つは、子供の頃は父親絶対で、おいしいものや貴重なものは先ず父親という習慣の中で幼少時を過ごした人の話だ。リングイッサをもらっても父親の皿に載るだけで、8人いた子供達には回っても来ない。うらやましいと思っていたら、料理した後の油をご飯にかけるとおいしいと言われ、喜んで食べた事、そんな中だったからか、正月は本当に嬉しくて幸せだった事を話してくれた▼日本に行き、若い人と話したら、「何を言っているのか分からない」と言われたが、飛騨の里で年配の人と話したら、「日本語が上手」と褒められたという話もある。文房具屋で「帳面下さい」と言ったら、誰も分からず、店長の母親を呼んだらやっと理解してくれた上、「お茶でもどうぞ」と誘われたという人もいる▼最近はブラジルでもNHKなどが視聴出来るし、インターネットで流れる情報も増えたから、時代や距離の差を感じる事は少ない。だが、これらの話は、多くの物を持ち、便利な生活をする事だけが、豊かで幸せな暮らしではないと教えてくれる。否、むしろ、貧しくて様々な制限があればこそ、普段と違う品や雰囲気をより敏感に感じ取り、幸福感を味わえたのだろう▼物質的な豊かさ故に失われたものがあると気づいても、古き良き時代に戻るのは無理だが、小さな事にも感動する心を忘れず、感謝の中で暮らす贅沢を奪えるものは何もない。コラム子の担当は年内最後。良きナタル(クリスマス)と新年を。(み)