彼の細工場は街の中央の古いビルの中にある。このビルに入ると大理石を敷き詰めた丸いホールがあって、正面の壁には細かいタイル細工でコーヒー園の様子が描かれている。よく見ると右下にかの有名なニーマイヤのサインがしてある。
天井は高く、壁、ドアの飾りつけは銅版が使われて、いつも掃除婦がピカピカに磨きあげている。ブラジルの良き時代、コーヒー全盛時代に作られた建物に違いない。
ある夏の日の午後、細工を頼みに行くと、彼の殺風景な仕事部屋の壁に鉢が一つつりさげられてあった。
幅二〇㎝くらいの小さな鉢から太い蔓が一本だけ延びている。蔓の先は鉛筆のキャップのように細く長くとがっていて少しピンク色。丸いかわいい緑の葉が蔓の両側に並んでいる。
行くたびにその蔓が勢いよく前へ前へと突き進んでいる。真横に壁を這うように伸びて、そしてこの蔓を追っかけるように濃い緑色のハート型の葉が「遅まきながら」と言いながらついてくる…といったあんばいだ。蔓が落ちないように壁にセロテープでとめたり、くぎを打ってそこに引っかけたり、とステービスは世話を焼いている。
「何て名前?」
「さあー?」
蔓は壁を這い、何物も物ともせず、エネルギッシュに延びてゆく。これじゃあ「天上天下唯我独進だわ」と私は独り言を言う。
葉は厚みがあって時には色濃く、時には薄くと色を変えながら進んでゆく。不思議なことに鉢の近くの葉より先に行くほど葉が大きくなっている。
「肥料は何を?」
「水だけ」
来るたびに私は計ってみる。一本だけの蔓は根元から四mにもなった。先端の方にはしっかり大きな葉をつけている。「わたしは居る」と自己主張しているようで、我が気の強い孫にそっくりだ。
とうとう六mになった。毎度私は称賛を惜しまない。しげしげ眺め、触って、
「すごいねー。立派だねー。こんなに伸びているのは見たことがない。よっぽどこの場所が気にいったのね、それにこの姿、形、色、美しいわねー。人間にはつくれない」
「そうだよ、神がつくる自然は完璧に美しいと思うよ。人間が作るものはいつか痛むし、壊れるからな」鉢が来てかれこれ一年たった。一本だけの蔓は彼の大きな仕事部屋を半周している。八mだ。
夏も終わった日の午後訪ねてゆくと、蔓はいつもの圧倒されるようなエネルギーを感じられない。
肥料が足らないの? 風が強すぎるの? それとも病気にかかった? ふと感じた。
でも私は鉢植えをほめた。すると、
「あんたにあげるよ、この鉢を持って帰ったらいいよ」
「えっ」
「いいんだよ、これはあんたにあげる。持って帰ったらいいよ」
「……」
「遠慮はいらない、何時でもいいから取りにおいで」
二週間後、フェーラ(路上市場)に行くときに使うカリンニョ(手引き車)に入れて、コトコトと引っ張って我が家に持って帰ってきた。
さっそく大きな鉢に植え換え、肥料をいれて、そうだ緑のカーテンをつくろう。ガラス窓いっぱいに広がる緑の葉、どんなに素敵なへやが出来上がるか、想像するだけでも楽しく幸せだった。私はせっせと世話をした。
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