元ボクサーの経歴を持ち、独学で建築を学んだ異色の〃闘う建築家〃安藤忠雄氏。その建築事務所(大阪市)で4年ほど修行し、7年前に帰伯した若手の日系建築家の早川鋭二さん(45、二世)が昨年12月9日のブラジル日本文化福祉協会の評議員会で、110周年記念メイン事業である国士館スポーツセンター再開発構想の叩き台を発表した。的確な状況把握に続いて、計画概要が発表され承認された。110周年の中心事業の設計を担う若き建築家に話を聞いた。
「国士館スポーツセンターがある地区には1千平米以上の建物、たとえばパビリオン、体育館などを作ってはいけないサンロッケ市の条例があります」――国士館再開発構想の叩き台の最初の現状把握の部分で、そんな衝撃的な説明があった。
木多喜八郎文協会長(当時)は2010年、評議員会で500万レの巨額予算で「国士館エコロジーパーク案」ぶち上げた。プラネタリウムや大イベント会場などを含む大規模な構想で、木多体制2期目の目玉企画だった。ところが完全に頓挫したことは記憶に新しい。
だが早川さんが調べて当日発表した要件によれば、08年に同市条例が制定されており、最初からムリな構想だった。それまでの調査不足が露呈したのと同時に、早川さんの見事な調査能力と堅実な提案内容に評議員は高い評価を下した。
早川さんに経歴を聞くと「安藤忠雄事務所に4年ほどいた」という。USP建築科を卒業した後、コロンビア大学で修士号を取得するために米国で7年間、その後、日本に渡り安藤事務所で4年ほど働いたとのこと。
「なぜ同事務所に?」と尋ねると、「安藤忠雄の建築に学生時代から憧れていました。実は学生時代、『研修生として受け入れてください』と手紙で直訴しました。そしたらありがたいことに認めてくれ、1995年に半年間ほど充実した研修をさせてもらった。ですからもう一度と思い、米国の後に仕事をさせてもらいました」とのこと。
日本の建築一般の特徴を尋ねると、「日本の建築技術は素晴らしい。とくに細部の仕上がり。ブラジルよりも芸術的、詩的な建築物が多い」とのこと。
逆にブラジルは「こちらはニーマイヤーはじめ左派思想が強い。常に建物に社会性を求める。それを作ることでどう町に貢献できるかとか。安藤さんも『社会を変えていくためのツールとしての建築』という考え方をされるので、ブラジル風に近いと思い、修行したいと思いました」。
早川さんは現在、自分で建築事務所を経営。まだ当地では代表的な作品といえる建築物はないという。国士館再開発構想が実現すれば、日伯の建設思想を融合した記念すべき作品になりそうだ。
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安藤忠雄といえば、1965年から二度にわたって世界放浪。キューバの革命家チェ・ゲバラに傾倒し、インドのガンジス川で「ゲリラ的生き方」を決意したとの逸話がある。ボクサーは諦め、独学で建築を学び、コンクリート打ち放しと幾何学的な形状を特徴する建築が多い。その建築手法には、どこかニーマイヤーと共通した部分がある。ちなみに石原慎太郎都知事時代、2016年東京五輪構想が打ち出され、安藤忠雄がメインスタジアムを含めた建設計画を作った。だが、結局はリオに五輪持っていかれたという奇縁がブラジルとはある。