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ブラジルに牧水歌碑はあるのか=日系文学会まで連絡を!

 日本の歌人・小塩(おしお)卓也氏からブラジル日系文学会に「ブラジルに若山牧水の歌碑が存在するか?」との問合せがあった。もしも歌碑のありかを知っている人がいれば、同文学会(住所=Rua Vergueiro, 819, sala 2, CEP 01504-001)、もしくは中田みちよさん(電話=11・5084・7112)まで連絡を。以下、小塩さんから問合せ文を転載。
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 昨年以来、筆者は新岐阜県歌壇史と題して岐阜県の地方紙岐阜新聞に戦後の岐阜県の歌壇について文章を発表している。
 その執筆に当たって、岐阜県歌人クラブの機関紙を調査しているのだが、その過程で、昭和二十五年七月発行の第四号の「各地に建つ歌碑」の欄に若山牧水の歌碑がブラジルのサンパウロに在留邦人によって建立されるとの記事を見つけた。
 歌は「あき風や日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ」とある。
 本当にこの碑が建ったのか気になって、サンパウロの小池みさ子氏に尋ねたのだが、周りに聞いても分からないという。
 この紹介記事の隣には、山梨県小淵沢中学校の校庭に昨年十一月十三日序幕された歌碑には、「甲斐のくに小ぶちさはあたりの高原の秋すゑつかたの国のよろしさ」の歌が刻まれているとある。
 若山牧水記念文学館のホームページでは、牧水の歌碑が検索できるが、「甲斐の国小ふちさはあたりの高はらのあきすゑつかたの雲のよろしさ」の歌がこの日付の建立で、小淵沢町の文化会館に建つと言う。多分中学校から移されたのだろう。
 実際サンパウロに建ったという歌は、『死か芸術か』に見られるものである。さきほどのホームページでは、この歌の歌碑は海外はもちろん、国内でも登録されていない。記事中の小渕沢の歌碑が正しいことから言っても、牧水の歌碑がサンパウロのどこかに建ったのではないかと思われ、この欄の読者でご存知の方があればぜひ筆者までお知らせいただきたい。