現在のサンパウロ日伯援護協会は、5つの医療施設、7つの福祉介護施設、総職員数約2千人を擁する南米最大の日系団体だ。日本国外にある地元資本の日系医療公益団体としては世界最大級だろう。
そんな援協は来年1月に創立60周年を迎える。ここまで巨大な組織に成長できたのは、日伯友好病院のおかげ。その病院が今年30周年を迎える。ここらでぜひ〃原点に返る〃事業を始めてほしいと切に願う。
援協の歴代の会長は、邦字紙の新年号や移民の日特集号の挨拶で、次のような言葉をのべてきた。例えば2014年の新年号の挨拶で、当時の菊地義治会長は《高齢の経済的困窮者や社会的弱者の方々に対しては、今後も引き続き、救済援護の手を差し伸べてまいります。(中略)援協は、今後とも創立の理念「社会的弱者の救済援護の精神」を忘れることなく、医療分野と介護福祉分野に於いて、名実ともに日系社会の中核団体として日系社会のみならず、ブラジル社会にも貢献していく所存であります》と書いている。
だが、ここ10年余り「本当にそうだろうか」と首をひねることがある。施設の設備が良くなった記事は頻繁に見るが、以前ならよく見たような、路上生活する戦後移民や日系人を福祉部が施設に保護したなどの話を久しく聞かない。貧困者や病人などの移民を助けるのが援協の原点だったはずだ。
邦字紙には常に移民の成功者が溢れている。だが、それは全移民のほんの一部であることを肝に銘じなければいけない。邦字紙でよく出るような人物、県人会や地方日系団体、老人会などの役員や会員らは、成功者か、安定した生活を手に入れた人だ。
実際には、そのような組織に参加したくてもできない人がたくさんいる。元来の福祉団体としての援護協会が目を向けるべきなのは、高額な医療費や保険が払える〃お客さん〃だけでなく、そのような移民ではなかったか。
さらに言えば、コラム子もそうだが子供がいない夫婦や、独身者にも目を向けてほしい。子供がいて立派に育て上げ、世話になれる良好な関係を築けている人は、ある意味、それだけで十分に人生の成功者だ。
だが子供がいない夫婦や子供の世話になりたくない夫婦、独身者には面倒を見てくれる人がいない。その不安が常に付きまとう。それなりの自宅アパートを所有している人も多いだろうから、「自分が死んだら、この不動産はどうなるのか。市役所などの公的機関に没収されてお終いか」などと漠然と考えたりする。
援協にはその不動産を担保にして、生きている時に不安が減るように支援をしてもらえないだろうか。子どもがいない夫婦、子供はいるが頼りたくない人、独身者らが安心して老後を過ごせるような医療福祉支援だ。
生前に不動産などの所有物を援協に遺産相続する契約をし、その代わりに週1回とか2週間に1回ぐらい契約者の家に福祉部から連絡を取り、健康状態を聞き世間話をする。皆が顔を合わせてお互いの近況報告をできるような場が、福祉部にあればさらにいい。
体調が悪ければ、日伯友好病院で検査や治療をし、最後となればやすらぎホームなどに収容してもらい、ひっそりと葬儀をして墓地に埋葬してもらう。いわれば、移民の最後を看取る事業だ。
昨年6月に亡くなった、南米日系社会の恩人・神内良一さんが約11億円も寄付してくれたおかげで、現在の援協がある。
神内さんは1987年に偶然目にした朝日新聞記事「故国へ里帰りした 訴えるブラジル移民」に心を動かされ、移民支援を始めた。「若き日のブラジルへの想いと消えぬ記憶は強く心にあり、地球の裏側で寂しく老いる日本人移民の存在を伝える新聞記事に激しく胸を突かれた」「運命が少し違っていれば、ブラジルへ渡っていたかもしれない。異国に生涯を捧げた同胞を少しでも慰めたい―」(著書『私の国際福祉の原点―行い想いを越ゆることなし―』(2017年、公益財団法人日本国際協力財団)とある。
ならば神内さんの基金は本来、移民を看取るために使われるべきではないか。そのお金は今まで主に、日伯友好病院の経営改善や、援協本部建築のために使われてきた。
だが、これからは「移民を看取る事業」のために回してほしい。安心して移民が老後を過ごせること。今しなければ、もう二度とその機会は来ない。(深)
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