リオのサンバ界で長きにわたり活躍し、「サンバの女王」の異名も取ったイヴォーネ・ララが16日、入院先の病院で亡くなった。96歳だった。16日付現地サイトが報じている。
1922年にリオのボタフォゴで生まれた彼女は、3歳の時に父親を亡くし、12歳の時に母親を亡くした。その後は叔父の手で育てられたが、そこでサンバを覚えた。
ララは1947年に25歳で結婚したが、夫がエスコーラ・デ・サンバ「プラゼール・デ・セリーニャ」の会長の息子であったことから、サンバ界で顔が利くようになり、シラス・デ・オリヴェイラなどの作曲家と出会い、自身も曲を作りはじめた。主な作品には「ナッシー・パラ・ソフレール(私は苦しむために生まれた)」などがある。
1975年に長男、夫が立て続けになくなったことを契機に、53歳で音楽活動を活発化させ、1977年からは芸術活動に専心。歌手としての活動も目立ちはじめた。
作曲家としても、マリア・ベターニアやカエターノ・ヴェローゾといった大物歌手たちが彼女の曲を歌うほどの評価を得たが、1980年代以降は歌手としても、毎年のように作品を発表する人気歌手となった。
その存在は次第に敬意を込めて、「ドナ(女主人)」と呼ばれるようになる。活動は長く、90歳を超えてもステージに立ち続け、リオのサンバ界の名物のひとりとなった。また、カーニバルのテーマで選ばれることや音楽賞での功労賞を捧げられることも多かった。
心臓の病のため、13日からリオ市内の病院に入院していた。