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県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第5回=ワイキキビーチは人工の砂浜

ワイキキビーチの向こうにダイヤモンドヘッド

ワイキキビーチの向こうにダイヤモンドヘッド

 今回のハワイへのふるさと巡りはメンバーが142人と大勢だったため、三つのグループに分かれていた。その一つのグループが食事しているレストランに向かった。レストランは日系の人が経営しているもので、バイキング式で日本食や他の料理もあり、自由に取ることができ、味も悪くなかったが、他の二つのグループは、他で食べたらしく文句たらたらであった。
 昼食後、自由行動。ホテルから近いワイキキビーチに行く。ホテルから道を渡って公園の中を十分ほどあるいたところがワイキキビーチである。場所はオアフ島南部に位置し、南はフォート・デルッシー・ビーチ、ワイキキビーチ、クヒオ・ビーチ、カピオラニ・ビーチ・パーク、サン・スージ・ビーチなどのビーチ・エリア、西と北はアラ・ワイ運河に挟まれ、東はダイヤモンドヘッドふもとのカイマナ・ビーチの地域をさす。
 ワイキキとはハワイ語で「水が湧くところ」の意味で、ハワイ王朝の保養地であった。それまで土地所有者の概念がなかったハワイだが、1846年には、土地の所有権を認める条例が施行され、ワイキキにおいても大部分の土地が瞬く間に白人の所有となった。砂浜はワイキキビーチにはもともと無く、1920年代から1930年代に、オアフ島北部やカリフォルニアから白砂を運んで造られた人工の砂浜である。

ワイキキビーチは人工の砂浜

ワイキキビーチは人工の砂浜

 人工砂浜であるワイキキビーチの砂浜の面積が狭くなってきていることから、2011年より250万ドルを費やし狭くなった砂浜の砂の補給を行っている。
 ワイキキビーチは、ホノルル市における最大のリゾート地域で、メインストリートのカラカウア通りやクヒオ通りを中心に、リゾートホテルやコンドミニアム、ショッピングセンターや飲食店などが建ち並ぶ。季節を問わず世界各国から多くの観光客が訪れるが、中でも日本人観光客は年間約150万人を占める。
 ワイキキビーチから見えるのがダイヤモンドヘッド。高さ232メートル、火山活動で噴出した火山砕屑物が火口の周囲に積り丘を形成した火山砕屑丘。
 ハワイ先住民は「マグロの額」という意味でハワイ語で「レアヒ」とよんでいた。一九世紀にイギリスの水夫たちがこの山を登った時、火口付近の方解石をダイヤモンドと間違え「ダイヤモンドヘッド」と名付けられたという。
 海を一望できオアフ島の沿岸防衛に理想的な場所とされ、1904年に連邦政府に買い上げられた。一時は軍事要塞化されていたが、結局一度も使われないまま現在に至る。ダイヤモンドヘッドへの道は、この時に作られた資材運搬等の道を利用したものである。
 普段リオデジャネイロの景観を見ているせいか、海岸線に立派なホテルが建ち並んでいるものの、そう感激するようなものではなかった。(つづく、伊東信比古さん寄稿)