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ブラジルの統計数値はどこまで信用できるか?

キチンと読み書きできる大人は4人に1人しかないという現実

キチンと読み書きできる大人は4人に1人しかないという現実

 本紙2面の19日付記事『本当の失業率は過去最悪=就職断念者入れれば約25%=「政府の雇用改善宣言は欺瞞」』を読んで、思い出した。
 難しい学術書にも関わらず異例の世界的なベストセラーになった『21世紀の資本』を書いた仏人学者トマ・ピケティが、研究対象にブラジルを含めなかった事実を、だ。分かりやすく言えば「ブラジル政府機関が発表するデータでは信用がないから研究もできない」ということだ。
 2014年5月14日付BBC電子版記事によれば、ピケティの研究スタッフの一人は《08年から連邦国税局に、過去25年間の確定申告のデータ提供(個人名は除外)を依頼しているが、断られ続けている。これがあれば、『21世紀の資本』に含めることができた》と証言した。「本当のデータ」は出したくないらしい。
 冒頭にあるように、連邦政府のいう「失業者」は「求職活動をしているのに仕事に就けない人」だけを数える。そのため「就職活動をやったが仕事が見つからないために断念した人」は失業率に反映されない。にもかかわらず、政府は「今年第1上半期の失業率は13・1%で、昨年同期の13・7%より減少した」と発表し、失業率が良くなっているかのように発表した。
 つまり「本当の失業率」を隠すために、断念者を抜いた失業率を発表しているように見える。
 「失業率」の数字は、景気動向を見る上で最も大事な数字だ。景気が良くなるためには、国民の消費が拡大する必要がある。国民消費が拡大するには収入が増える必要がある。収入を得るには仕事に就かなければ話にならない。つまり、「失業率が減る」=「景気が良くなる」という基本的な図式がある。
 2014年、前回の大統領選挙の時も数字のウソが目立った。選挙活動中にペダラーダ(粉飾会計)でウソをつきまくって、都合の良い数字だけをアピールしたジウマが、接戦を制して再選を決めた。
 だが実際の経済数値は悪化していた。それをごまかしていたのが再選後に徐々に露呈して、16年のインピーチメントにつながった。ピケティに情報提供を断った08年もPT政権であり、経済の実態を明らかにしたくなかったと勘繰りたくなる。
 当時の副大統領であるテメルがジウマ罷免後に昇格した。だから基本的な政治体質は同じといえそうだ。今年8月からの国政選挙に向けて、少しでもいい数字に粉飾して国民に信じ込ませようとしているのかも。
 以前から文盲率(非識字率)にも粉飾の可能性を感じている。本紙19日付には『文盲率=2年前の目標を達成できず=人種、地域間格差依然大きく』との記事もあった。

「国民の75%がまともに読み書きできない」と報じた記事

「国民の75%がまともに読み書きできない」と報じた記事

 政府は14年の国家教育計画(PNE)で「2015年末までに15歳以上の国民で、基本的な文章が読み書きできない人の割合(文盲率)を6・5%以下にする」という目標を定めたが、目標期限から2年経った17年末も文盲率は7%だったというものだ。
 リオ州政府サイトの論文によれば1920年当時、ブラジルの15歳以上の文盲率は65%だった。そこから思えば7%はリッパな数字ではあるが、世界の主だった国は1%以下が当たり前だ。しかもブラジルでいう「文盲」とは自分の名前すら書けない最低レベルのこと。
 簡単なメッセージ(数行の伝言程度)は読み書きできるが、契約書や新聞、書籍レベルの文章が理解できない人は「機能的文盲」(Analfabetismo funcional)という。これこそが「本当の文盲」ではないかと常々思う。言葉という道具を使って論理的な思考能力が持てるのは、このレベルの上からだからだ。
 この機能的文盲は本、テレビや新聞のニュースの読解が完全にできない。文章を声に出して読み上げることはできるが、実は意味を理解できない。つまり政治家のウソを見抜くには機能的文盲では難しい。
 05年のIBOP調査によれば、文盲率は7%だが、機能的非識字者は68%もいた。つまり人口の75%は新聞やテレビのニュースを読解できない。政治家が言うことの裏側を理解できない人たちだ。
 恐ろしい数字ではないか。だけど日常生活は送れるし、投票もできる。当地で庶民的生活をしていれば、身の回りで一番多いのはこのレベルの人たちだ。
 逆に言えば新聞や本を読んで理解できる人は25%しかいない。4人に1人しか批判的に投票できる人はいない。
 ブラジル社会を良くする最大の課題は、この機能的文盲をいかに減らすかだ。つまり教育しかない。頭の良い国民が増えれば、悪徳な政治家は自然と減る。
 皆さんが「新聞読者である」という事実だけで、この社会の知的階層の上から4分の1に入っていることを意味する。子や孫に本をプレゼントし、読書習慣を養おう。(深)