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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(11)

 鋸は錆びている上、目立てを何年もやってないような代物だから、屈強な奴らでさえ薪に切ることはできなかった。しかし薪を持参しなかった報いは、たちどころに現れた。
 脱衣箱に着衣と雑嚢を入れて浴場に入る。内部は広く冷え冷えとしていた。正面には階段状に板が取付けてある。カンボーイ(監視兵)が小桶に水を入れてくれた。汗がでたら水をかぶって服を着るんだと手真似で教えた。階段状の板に座って、寒さにふるえていると、両側から蒸気らしい白い湯気が、ボヮーと一度だけ出た。温かくも熱くもない。しばらく待ったが、蒸気は出なかった。手桶の水を体にかけると、冷たさに震えあがった。垢まみれのシャツで拭き服を着た。汗も出ない寒いだけのサウーナには、それ以来お目にかかったことはない。冷水をかけたせいで体はしばらくホカホカと暖かかった。
 浴場から出た時、うす汚れた少年が脱衣場から逃げ出した。雑嚢を調べると、空の石鹸箱が消えていた。

  六、ラーゲリ(強制収容所)

 集落の後側は高さ八〇㎝ぐらいの丘が、細長く横たわっている。その丘の中腹にラーゲリ(強制収容所)はあった。周囲は高さ三mの柵で三重に囲われ、有刺鉄線が一五㎝幅で張り巡らしてある。下側の角に衛兵所と正門、四隅の望楼には銃を手にしたカンボーイ(監視兵)が、われわれを見下ろしていた。
 捕虜という意識が、気持を強く圧迫してくる。
 正門近くでは大工が数人、小さい丸太小舎の土台を造っていた。その隣りに小型が一棟と大型が二棟、柵に沿って建っていた。トラックに乗せられ、二日行程で南へ来ているのだが、身を切るような寒風が夏衣を通して刺すように吹きつける。博克図(ブハト)仮収容所、貨車の中やノーバヤの倉庫で感じた寒さとは、まるで違うことに戸惑いを覚えていた。
 暗くなって、やっと宿舎へ入ることができた。大きい二棟に六〇〇人の兵、小一棟に将校四人と見習士官二人の割当である。床は板敷である。触ってみると生木を板に挽いたばかりで、ジットリ湿っている。床板の上に横たわるのがためらわれ、丸太壁によりかかることにした。
 丸太の壁も湿りを含んでいたが、板ほどではない。毛布にくるまって壁にもたれたが、丸太と丸太の間の隙間から刺すような寒風が吹きこんで、とても眠れたものではなかった。丸太の隙間に詰物がしてなかったのだ。
 まんじりともできなくて、戦友と体をくっつけ、浅い眠りを繰り返しているうちに夜が明けてきた。

  七、地獄の点呼

 貨車につめこまれて以来、眠れなかった四夜目が明け、外は明るんできた。いきなり、
「点呼、点呼」
 と、叫ぶ声に宿舎から外に出た。途端、うっと呻いた。呼吸ができなかったのだ。経験したことがない寒気に躯が強張った。音さえ凍る酷寒とはこのことかと思った。手で鼻を覆い、ゆっくりと数回息を整えると、強張った躯が少しゆるんだ。
 中隊毎に四列縦隊に整列し、兵営と同じように点呼がはじまった。忽ちのうちに点呼は終り、先任将校の小之原中尉が、中隊毎に報告を受ける。彼は傍にたっている収容所長に人員報告をした。しかし所長はその報告をはねつけた。