【パラナ州ロンドリーナ発】眞子さまは19日午後4時過ぎ、リオからロンドリーナ空港にご到着され、ロンドリーナ文化体育協会(ACEL)を訪問された。瑠璃色の気品溢れるワンピース姿で現れると、約400人の地元日系人が熱烈に歓迎した。
到着予定の3時間以上前から人が集まりはじめ、会館では期待に胸を躍らせる高齢者で溢れかえった。内田正志さん(89、二世)は、邦字紙記事からのご訪問予定を詳しくメモ帳に書き留めていた。同州北部カンバラに初期に入植した父母のもとに生まれた内田さんは、子供の頃は山奥で自給自足の生活を営んでいたという。
「学校には通っていませんが、母親がきちんと家庭で教えてくれたお陰で日語の読み書きもしっかりできるんですよ」と笑い飛ばす。「一番苦労したのは母だった。2歳の時に父が亡くなり、再婚して新たに温かい家庭を築いた。移民はこのように生きてきた。苦労だらけだったけど、おかげさまでここまで長生きしている。最後に殿下に一目お目にかかりたい」と胸中を語った。
映画『ガイジン2』で主人公チトエの老後を熱演し、05年のグラマード映画祭グランプリを受賞した小野あやさん(89、山形県)も、待ち遠しそうに会館で待機していた。「私は地獄耕地と呼ばれた、カフェランジアのシャンデンブレーで育ちました。アメーバ赤痢やらが跋扈し、食べ物も何もなく、いつもすすり泣く、母の姿を見て育ちました」と辛い記憶を振返った。
小野さんは結婚後、50年以上に渡りフェイランテ(露天商)として身を粉にして働いた。「子供をおんぶし、抱っこして働いた。死んだほうが楽だと思ったことが幾度あったか。でも、今は最高に幸せ。子供達もよく顔を見せてくれるしね」と豪快に笑う。
そんな小野さんの心の支えというのが教育勅語だ。「母がいつも読んで聞かせてくれた。空読みができるんですよ」といって教育勅語を朗々と暗唱しはじめた。
「明治天皇も、昭和天皇もたいそう立派なお方だった。自分のことよりも、国民の幸せをいつも考え、寄り添ってくださる尊いお方。その皇室から眞子さまがこられるとは、私どもには本当に有り難いことなんですよ」と感激していた。
午後4時過ぎ、佐藤ペドロ会長らに迎えられた眞子さまは、イペー・ブランコの記念植樹に立ち会われた後、50メートル以上におよぶ地元日系人の列に姿を現されると、参加者は思わず息を呑んだ。
現地のめぐみ学園の幼児たちは待ち切れない様子で、「眞子さま、こんにちは。眞子さま、こんにちは」と繰り返し練習していたが、実際に近づいてこられると、緊張した面持ちで硬直してしまった。すると眞子さまの方から腰をかがめて子供と同じ視線に立たれ、微笑みを浮かべながら「こんにちは」「何歳ですか」と優しく声をかけ、手を握られていた。
同学園長の酒井歩さん(49、二世)は「子供たちには生涯忘れられない思い出になった。ご接見を受けて祖先の国を知り、日本語を学びたいという意欲につながるのでは」との期待を語った。
保護者らも「繊細かつ優雅で、礼儀作法が美しくお優しいかた」と異口同音に語り、ご接見の機会が、子供たちの将来の人格形成へのよい影響が期待されそうだ。高齢者席でも丁寧に挨拶をされ、少し離れた参加者にも身を乗り出して、握手される場面もあった。
握手して頂いた武村盛常さん(79、沖縄県)は「まさか一般市民にまで握手をしてくださるとは。あり得ないことだと話していたが、それが我が身に起きてしまった」と涙を滲ませ、仲村逸夫さん(79、二世)も「お近くにも寄れないと思っていた。感激で言葉もでませんよ」と夢見心地で語った。
眞子さまは、その後、ご訪問記念碑の除幕式に臨まれ、地元太鼓チーム三組による合同演奏をご覧になった。眞子さまは「歓迎頂き有難う御座います。太鼓がブラジルに根づいているのは、有り難いことです」などと感謝を述べられていた。