人間にとって最初の別れは「赤ちゃんの誕生」の時である。イヤそれは新たな出会いではないか。確かにそれは親子の新鮮な出会いでもあり、赤ちゃんにとっては十ッ箇月育ててくれたお母さんのお腹から出て、一人の人間として未知の世界へ旅立つ最初の別れである。
やがて年齢に従って、幼稚園・小・中・高・大学と、これまでの環境との卒業=別れを繰りかえし、親元を去り、新たな人間関係としての結婚をする。
それは、成長によって段階的に繰り返してきた出会いや別れとは全く違う。その巡り会いは、自分を生み育ててくれた家族関係に別れを告げて新たな家族を作るための、人生で2番目の別れとなると、精神科医はその段階を説明している。
そして長い人生を経て、「死」は、たくさんの思い出を結晶させて「さようであるならば」とその人の人生を締めくくる最期の別れになる。
生まれることが最初の別れとなり、やがて死ぬ。その期間が長かろうが短かかろうが、人間社会の中で出会いと別れを繰り返す。出会いから何事かを会得し、別れから悲哀や絶望を体験し、両方から人格が形成される。すなわち、人間の人格は、出会いと別れの経験から形成される。
▼別れの言葉
◎西洋では「神のご加護を…」
◎日本人は「さようなら(さようであるならば)…」
私たち日本人が当たり前のように使っている別れの言葉、「グッドバイ、バイバイ」は英語であるが、Goodbye(グッドバイ)の本来の意味は「神が汝と共にあらんことを」(God be with ye)である。
フランス語のAdieu(アデュー)を分解すると、A+dieuとなり、dieu(デュー)が神で、aは(~へ、~において)となるから、「神のような存在のご加護がありますように」である。
スペイン語の Adios(アディオス)「神とともにあれ」、イタリア語Addio(アディオ)、そしてポルトガルadeus(アデウス)も同じである。
また、外国語の別れの言葉には、一般的に「再会」を約束する意味が込められており、英語では、See you again, see you(シーユーアゲイン、再び会いましょう)、フランス語のAu revoir(オー・ルヴォワール)、イタリア語Arrivederci(アリベデルチ)、中国語(再見―ツアイチェン)韓国語(安寧アンニョンヒ、ゲセヨ、安寧アンニョン ヒ、ガセヨ)で、韓国語の「安寧(あんにょん)」は、「御無事で、安寧(あんのん)でありますように」という意味になる。
いずれの外国語も「別れ」は再会を期して、あるいは無事を祈るという言葉が用いられている。日本語のこの意味に当たる別れの言葉は、「じゃあね、またね」「ごきげんよう」「お元気でね」となる。ポルトガル語の「até logoアテ・ロゴ, tchauチャウ」も、それに共通し、adeus(アデウス)という別れの言葉は日常的に使うには少し重たいと、ブラジル人でも感じるそうだ。
思えば、確かに、普段に英語圏の人々と別れ際にGoodbye(グッドバイ)といって別れることは無かったように思う。それは「最後の別れ」のニュアンスということの暗黙の裡であったからだろうか。「グッドバイ」というと、「グッドバイなんて言わないで…」という返事が返ってきて戸惑った経験をした人もいるであろう。同様に、日本人の「さようなら」も、再会を期す、というよりも「最後の別れ」の響きが伝わる言葉のようである。
▼日本語の「さようなら」
日本語の「さようなら」は、もともと「そうであるならば」「さらば=然らば」という接続詞で、「それならば、それでは、そういうことであれば」であるから、「別れ」の意味はなかったが、「それが後年、別れの挨拶として、品詞としては感動詞として自立して使われるようになった」。(『日本国語大辞典』)
近世以降に文語的な表現として「左様ならば」→「さようなら」となったという。一説には、日本人が「さらば」というとき、「今までのことが終わって」これからは「新しいこと」に向かう心の構えを示しているという。
明治17年に作られた『仰げば尊し』の最後の歌詞は「今こそ別れめ、いざさらば」であるが、「今こそ別れよう、いざさらば」という意味を込め、かつ、「いざ」という弾みを付けて、旅立ちを歌っている。
「別れ」を歌った歌は実にたくさんあるが、井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」は印象深い。
竹内整一は『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』の中で、「さようなら」とは、自分の人生に万感の思いを込めて別れを告げる言葉である」と述べ、その「あとがき」に、中国の詩人の歌を訳した井伏鱒二の作品と、寺山修司が井伏の詩に対して歌った返し歌を紹介した。
▼「さよならだけが人生だ」
井伏鱒二は、晩唐の詩人于武陵(う ぶりょう、810年~)が歌った『勧酒(かんしゅ)』を『酒を勧む』という題名で訳詩したが、この訳詞の最後の言葉に微妙な違いがあり、原文と訳詞の意味合いが異なったという批判がある。
原文は、
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
井伏鱒二は次のように訳して歌った。
このさかづきを
うけてくれ
どうぞなみなみ
つがしておくれ
はなにあらしのたとへも
あるぞ
さよならだけが人生だ
この訳詞については多くの専門的な議論がある。
原文の「人生に別離はつきものでたくさんの別離がある」という趣旨を、井伏は「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」と言い切った。これが、井伏が意図的に誤訳したかどうかは分からないということや、この詩の捉え方は二通りある。
「別れの時が来たのでその別れを惜しむ」と捉える「惜別派」か、「人生に別れはつきもの、いつ何時別れが来るか判らない。今、この時をこそ大事にしよう」と捉える「一期一会派」というものである。
興味深いことは、井伏が「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」としたのには、林芙美子が関係しているというエピソードである。
井伏は、昭和6(1931)年4月に講演のため林とともに尾道へ行き、因島(現尾道市)に寄ったが、その帰り、港で船を見送る人との別れを悲しんだ林が「人生は左様ならだけね」と言った。
井伏は「勧酒」を訳す際に、林の言葉を意識したという。(「因島半歳記」
それではここに、寺山修司の返し歌全文を引用する。
『幸福が遠すぎたら』 (寺山修司)
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかな はるかな
地の果てに咲いている
野の百合は 何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐり会う日は
何だろう
やさしいやさしい
夕焼と
ふたりの愛は何だろう
さよならだけが
人生ならば
建てた我が家
なんだろう
さみしいさみしい
平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
後に寺山修司は「サヨナラダケガ人生ダ」を逆さにして「だいせんじがけだらけなよさ」と歌い、この言葉を別れた人との思い出を忘れるためのおまじないにしたという。
竹内整一は寺山の歌について《寺山は、「サヨナラダケガ人生ダ」と念じることによって、そこにある、あったであろう「春」や「野の百合」「夕焼け」「建てた我が家」を愛おしみ、確かめ、くっきりと焼き付けようとしていたということだろうと思います》と述べている。
こうして三つを並べて読むと、なんと「別れ」の心情を映し出していることかと、感慨も一入である。
考えてみると、古今東西の詩、映画や演劇、唱歌、歌謡曲、演歌、洋楽、ポップソング、フォークソング…歌われているのは圧倒的に「別れの歌」が多い。
特に今日ではほとんど歌われることが無くなった唱歌や童謡などは、親子、兄弟、友人、愛する人との別れを歌った歌が何と多いことか。
幾つか例を挙げてみよう。
『椰子の実』、中央大学校歌『惜別の歌』は、同じく島崎藤村の作詞であるが、『惜別の歌』を作曲した藤江英輔は原詩の趣旨とは違い、戦地に赴く学友を送る際に友情と離別の思いを込めて作曲し、それは出身校の中央大学の校歌となった。
野口雨情は生後間もなく死んだ我が幼子を、「生まれてすぐにこわれて消えた」と「シャボン玉」でその死を悼んだ。
三木露風は「十五でねえやは嫁にゆき、お里の便りも絶えはてた」、子千鳥が親千鳥を探しに行く様子を描いた『浜千鳥』など、挙げればきりがない。
『どんぐりコロコロ』では、「…おやまに帰りたいと泣いてはドジョウを困らせた」。山からころころと流れ落ちて、行き着いたところで遊んでくれる友達を見つけてもやはり、「お山が恋しい…」と歌う作者の思いがしみじみと伝わってくる。
今日、日本の小学校で唱歌を歌わせることが少なくなったというが、「出会いや別れの意味に自覚が薄い」現代だからこそ、是非復活させ、日頃から歌い続けて、幼子の心に届けてもらいたいと切に願っている。
そのような歌を口ずさむことで、別れが何たるかを知り、生きることの大事を知る力が育まれると確信しているから…。
この世に誕生した時から始まる「別れ」は、誰もが最後の「別れ」迎える日が来ることは避けられない。
有難いことにこの時代は、「伴侶に先立たれても、一人ではありませんよ」というたくさんの仕組みが検討され、温かく支える取り組みが実施されているが、個々の思いや置かれた状況は千差万別である。
巷では「終活」「断捨離り」「エンディングノート作り」など「自分の人生にさようならを言う」方法が話題になっているが、多くの高齢者にとって、現在を心豊かに生き、「さようであるならば、私の人生さようなら」と、感謝を込めて別れを告げることのできるとしたら、これ以上の幸せはない。
【参考文献】
『別れの深層心理』(森昇二・講談社現代新書)
「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」(竹内整一、ちくま新書)
日本語大辞典
オックスフォード大辞典