12日付弊紙を見て、文芸欄(4面)に掲載された富重久子氏の「(ニッケイ俳壇)選者退任のご挨拶」に気づいた人も多いだろう▼夫の富重かずま氏が亡くなられた後、「もっと若い方に譲りたい」と繰り返し言いつつも、ずっと、俳壇選者の重責を負ってくれた。ひょんな事で同氏と同欄担当者との間の橋渡し役になった後、「投句を」と声をかけられた事があるが、一度も応えられないまま、最終回を迎えてしまった事を申し訳なく思う▼だが、紙面になる前に作品や句評に触れる機会を持ち得、いつも、投句者の人柄や来し方、十七文字に込められた想いなどを丁寧に読み取ろうとしている選者の姿勢を身近に感じる特権を享受していた。また、自分の体験などもおり混ぜて綴った句評は、読者からも丁寧でわかりやすいと好評だった▼中学で俳句の「いろは」に触れたか触れないか程度のコラム子には、十七文字という限られた世界で心情や情景を描くのは容易ではないし、切り詰めた表現で描いた世界を読み解く事も難しい。だが、折に触れて同氏が添える句評からは投句者への愛情や俳句への思いが感じられ、他の句に目が行く事もしばしばだった▼紙面掲載時に、弊紙の基準でアラビア数字を使ってしまい、「俳句や句評の中の数字は漢数字で」との要請を受けた事も、懐かしい出来事だ。怪我をした時や体調を崩した時でさえ、無理をおして原稿を送ってくれるなど、こちらが恐縮した事も。言葉を大切にし、詠み手を大切にする姿勢は、弊社を訪問する時の所作にも表れていた。12年余り、本当に多くの労と愛情を注いでくれた選者に、心からの感謝と敬意を表したい。(み)