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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(47)

 駅舎の屋根の上にロシア文字が六個並んでいる。通りがかりの人にその文字を指差すと
「ハバロフスク」
 と、教えてくれた。
 広い入口から待合室に入ってみる。薄暗い内部は旅人らしい人々で混雑している。その人達に混ざって、小柄でやせ細っている私が動き回っても誰一人咎めようとしない。煙草を吸っている人を眺めていると、彼は二本を箱から抜き出し、私にくれた。
 年配でひげが濃く
「ダモイ?」(帰国かね)
 と、話しかけてくる。うなずいて、
「スパシーボ」(有難う)
 と、煙草の礼を言った。
「オーチン ハラショ」(とてもいい)
 彼はそう言って、私の肩に手を置き笑顔になった。私と同年輩の息子がいるのだろうか。

  一九、コルホーズ(集団農場)移民

 貨車の中で寝転んでいると、隣の引込み線に東の方向から貨物列車が入ってきて停まった。真向かいの貨車から、小柄で白人の老夫婦、息子夫婦と一〇歳ぐらいの女の児が、珍しそうに私達の方を眺めていた。貨車の奥の方に少しばかりの家財が積んであった。
 老婦人がダモイ(帰国)?と話しかけてきた。未定事項だが、肯いて見せた。
「オーチン ハラショ」(とってもいい)
 と、ニコニコ笑顔を見せて、奥から取ってきたものを投げて寄越した。黒い干しパンと小さな茹でたジャガイモだった。着ている衣服は薄汚れていて、決して裕福ではないはずなのに、移動用の少ない食物の中から私たちに分け与えてくれる、暖かい気持が嬉しかった。
 干しパンとジャガイモを頬張りながら、片言手真似の会話になる。彼女は東のほうを指差して、コルホーズ(集団農場)といい、次にその腕を西の方向に強く二回振って、コルホーズといった。
 東のコルホーズから遠い西のコルホーズへうつるんだよと、話しているようだった。国家の命令で農場から農場へ移される農民は、果たして幸福なのだろうかと、疑念が湧いた。
 彼女は私の疑念にお構いなく、ダモイを何度も口にした。母さんがお前たちの帰りを、待っているだろうね、といっているようであった。そう想像しながら聞いているうちに胸が熱くなった。
 あの伐採地の樵監督も、謀殺されかかった時のサーゼントも、駅の待合室で煙草をくれた年配の旅人も、みんな私たちの帰国と母親のことを口にして、気遣ってくれた。ソ連にも心優しい人がいるのに、なぜ国家権力は非道を平気でするのだろうか。
 翌日、コルホーズ移民の列車は出発した。私たちは老婆と彼女の家族の振る手が、見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。彼女が何度も繰り返したダモイ(帰国)と言う言葉が、胸に温かく残った。

  二〇、ポセット湾

 二日目の夜半、ハバロフスクを出発した。 
 長い鉄橋を徐行しながら列車は進む。多分黒龍江(アムール河)を通過しているのだろう。途中で停車した。淡い灯りが扉の隙間からもれてきて、女同士が喋っている。金槌で叩く音が聞こえる。不思議なので扉を少し開いた。