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日系人いない町でジャパン・デイ=サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ=市民600人が日本文化楽しむ=若い優美・喜楽が芸能披露

勇壮な和太鼓に会場総立ちになったショーの様子

勇壮な和太鼓に会場総立ちになったショーの様子

 サンパウロ州サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ市は15日夜8時頃から、ジャパン・デイ(日本の日)を市立劇場で開催し、約600人の一般市民が集まり、ジャパニーズ・ダンス・カンパニー「優美」と太鼓集団「喜楽」(共に代表=花柳寿美富浩(すみとみひろ))のショーを堪能した。平均年齢20代の三、四世によるコロニア一若い芸能集団による元気いっぱいの演目に来場者は感動し、最後は総員立ち上がって喝采を贈った。

近隣の市長や代表が集まった開幕式

近隣の市長や代表が集まった開幕式

 日系人がごくわずかしかおらず、日系団体もない町で、市が主催して日本文化イベントが初めて行われた。サンパウロ市から北東に218キロ、ミナスとの州境にある人口9万人、1821年に始まった伝統都市サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ市だ。平均余命や教育、所得指数を複合的に評価した人間開発指数(HDI)では、サンパウロ州の645市中28位と上位に位置する農業と工業の町だ。
 このイベントは、昨年から市発展をテーマとする異文化交流事業として始まり、第1回は中国芸能だった。同市には、サンタクルス病院理事長の石川レナト氏が所有する「ファゼンダ・アリアンサ」があることから、今回は同氏を通じて優美・喜楽が招聘された。来年はアフリカ芸能集団が内定しているという。

サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ市のヴァンデルレイ・ボルゲス・デ・カルヴァーリョ市長

サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ市のヴァンデルレイ・ボルゲス・デ・カルヴァーリョ市長

 近隣6市の市長や代表が参加した開幕式で、ヴァンデルレイ・ボルゲス・デ・カルヴァーリョ市長は「日本移民110周年を記念してこのイベントは企画された。改めて日本移民が来たことを歓迎したい」と挨拶した。野口泰在聖総領事は日伯関係を講演。ジャパン・ハウスが8月に来場者100万人を達成したこと、来年の7月5~7日に開催予定の県連日本祭りへの来場、東京五輪へのブラジル人観光訪日を呼びかけた。

優雅な日本舞踊

優雅な日本舞踊

 ジェトロ・サンパウロ事務所の大久保敦所長が業務紹介する講演に続き、石川レナト理事長が日系二世としての心の軌跡を語った。「貧乏な農村育ちで7歳の時に初めて靴を履き、学校まで7キロを毎日歩いて通った。学校では同級生に『ガランチード・ネ?』とあだ名され、イジメられた。あの頃、日本移民の子供にとってイジメは深刻な問題だった」との体験をのべ、「だからこそ、仕事をするようになってから『ガランチード・ネ』を強力に実践することで、あの頃の辛い想い出を跳ね返している」との心情を吐露した。

太鼓を打ちながら客席まで

太鼓を打ちながら客席まで

 その後、佐藤マリオさんが司会し、優雅な天女伝説の舞からショーが始まり、ヒバリの佐渡おけさなど10曲、続いて喜楽の和太鼓が1時間以上にわたって披露され、総立ちになって拍手が送られた。来場者のブルーナ・ロウボさん(24)は「初めて見たわ。とても繊細で、プロフェッショナルな演技に感心した。衣装やお化粧も素晴らしい」と興奮冷めやらぬ様子で語った。
 近隣のサンジョゼ・デ・リオ・パルド市在住の永井尊(たかし、87、愛媛県)は「移住して55年になるが、初めて日本芸能をみて感激した。子供時代以来だ」と優美メンバーと記念写真を撮っていた。

太鼓を打ちながら客席まで

太鼓を打ちながら客席まで


□関連コラム□大耳小耳

 ジャパニーズ・ダンス・カンパニー「優美」と太鼓集団「喜楽」は2010年に結成されたばかり。二十代の若者を軸とした新しい日本芸能集団。花柳寿美富浩代表の子ども3人を中心に、それぞれ10人ほどのメンバーがおり、毎週集まって練習を重ね、色々なイベントで芸能を披露しており、今回のような地方出張も受けている。ショー開催の問い合わせなどは佐藤マリオさん(satto.mario@gmail.com)まで連絡を。


■ひとマチ点描■この町にも親日家あり

手前からラケウさん、マリウバさん、シルビアさん

手前からラケウさん、マリウバさん、シルビアさん

 「これが折り紙、ツルというのよ」。サンジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ市のジャパン・デイで、たまたま隣の客席に座ったブラジル人女性は、一緒に来ていた女友達に熱心にそう説明していた。そのラケウ・グレンフェルさんに声をかけたら、「3月までサンパウロ市セントロに住んでいた」という。名刺を渡すと「あらグロリア街に新聞社があるの。私は日本文化が大好き。リベルダーデにもいつも通っていたわ」と話が弾んだ。
 「なんでこの町はイタリア系移民の子孫が多いのですか?」と、古くからこの町に住むという一番奥のシルビア・マセドさんに尋ねると、「黒人奴隷が廃止された時(1888年)に、イタリア移民が導入されたでしょ。その時、ここに一杯入ったからよ」と答えた。さすがは1821年に始まった古い町だけのことはある。
 聞けば、生まれたのは奥パウリスタ地方のパカエンブーで「子供の頃は日本人農家で棉摘みの仕事をしてたわ。あの辺にはジャポネースが一杯いたわね。この町にも日本食レストランが2、3軒あるけど、日系人はほんの少し。今日は久々に日本文化に触れられてよかったわ」と笑った。(深)