大統領選はどうやらジャイール・ボルソナロ氏(社会自由党・PSL)の勝利で揺らぎそうにない勢いになってきているが、先日、コラム子は同氏の政見報道を見て、大きな違和感を覚えた。それは、この10数年間というもの間、ブラジルや南米があたかも左翼勢力の支配の抑圧下に置かれているかのような状態にあり、それをボルソナロ氏が救世主のように救うかのように描かれていたからだ▼だが、冷静に思い返せば、労働者党(PT)政権の13年もの間、その大半の時期において好景気で、国民による政権支持率もきわめて高い状態にあったのが事実だ。福祉政策のボウサ・ファミリアも成功し、国際的に評価もされた▼いや、何もPT政権だけではない。その前の民主社会党(PSDB)のカルドーゾ政権の8年間の頃にはレアル・プランが定着し、サルネイ、もしくはコーロル政権のときのような1千%台のインフレなどは過去のものとなっていた▼ラヴァ・ジャット作戦が起こって政権の裏の顔が垣間見え、不景気が長く続いたことでショックを受けたのはわかる。「こうした栄光は汚職の上に成り立っていたのか」という気持ちもわかる。だが、コラム子がわからないのは「民主化して一体何があった?」と、1985年からの33年の民主政治の歴史を否定しようとする動きだ。前述のように、PSDB政権でもPT政権でも、社会的な実りは十分あり、その遺産は現在でも十分に生かされている。日本から来て8年のコラム子に言わせてもらえば「たかだか1回の挫折で何を」と、現在のブラジル民の過剰な焦燥感を訝しがらずにおれない▼コラム子はそこでハタと「民主政治復帰から33年」というのを、日本の現代史に照らし合わせて考えてみた。「第2次世界大戦終了から33年」ということで計算してみると1978年。その当時の日本は、50~60年代に長く続いた好景気のあと、1973年にオイル・ショックがあり、76年にロッキード事件があった。いわゆる「経済成長後の挫折」と呼べそうな時期にあった。だが、それで日本人の民主主義の感覚が揺らいだか、といえば全くそんなことはなかった。70年安保以降は政治変革を叫ぶ声も沈静化した▼そう考えると、今のブラジルは、日本史にたとえるとまるで「オイル・ショックの後に2・26事件が起こる」様な有様だ。つまづいたのなら本来、そこから軌道修正をかければ良いだけの話だ。ところが、今のブラジルを見ていると、「マスコミが汚職を追及した旧政治勢力はみんな一掃してしまえ」みたいな勢いであまりにも無軌道だ。大統領選だけでなく、下院選挙でも、52人も当選したPSLの次期下議の半数以上が素人で、警察官や軍人多数などという事実を突きつけられると逆に恐怖感の方が沸かざるを得ない。ちなみに2・26事件も、マスコミに「政治家の不正」を煽られ激情した青年将校らが4人の閣僚を殺害して政府をガタガタにした結果、軍に政治をコントロールされる結果を招いてしまっている▼つい5年少々ほど前までは「国の絶頂」くらいまでにバブルだった状況から、この大げさ過ぎる極端な変わりようと言ったら・・・。ブラジルの場合、PT政権への不満が高まり始めたのが2013年のサッカーのコンフェデ杯のときで、ボルソナロ氏のような極右勢力が台頭しはじめたのが16年のジウマ氏の大統領罷免の後くらいだ。諸外国に比べて極右に対しての準備も予備知識も薄かったことも、こうした急すぎる変化につながった要因になっている気もする。果たして、今後どうなるのか。(陽)