邦字紙記者を一生貫いた石塚大陸さん(だいりく)が18日午後4時ごろ、脳内出血により、サンパウロ市のサンタマギオレ病院で亡くなった。享年80。
9日晩もいつも通り近くのバールで晩酌し、自宅アパートに戻り、夕食を食べてから寝た。トイレのためかいったん起き上がった際、転んで頭部などを痛打した。その後、病院に運び込まれたが回復せず、8日後に亡くなった。
1938年10月15日、宮城県浅水村生まれ、明治大学卒業後、サンパウロ新聞の呼び寄せで64年4月15日に単身渡伯した。同紙で記者を務め、70年代後半に雑誌「セクロ」に加わり、その後、80年からパウリスタ新聞に移った。記者を経て主筆となり、長年「星雲」コラムを筆名「遯」で執筆した。
生まれた時から片耳が難聴だったが、93年に社内で痛飲して階段で転げて頭部を打ち、逆側の耳も聞こえなくなった。その後も懲りずに痛飲を続け、幾つかの日系バーではママから立ち入り禁止を言い渡される無頼派だった。だが丹念に日本の新聞や雑誌、本を読み込み、筆記取材を続けて、四季折々の風流な話題、グルメ話を織り込んだ名コラムを書き、読者に愛された名物記者だった。
同紙が98年に日伯毎日新聞と合併した後も働き続け、2014年に退社するまで邦字紙最古参の現役記者だった。本紙でも「樹海」コラム執筆メンバーを続け、40年余の間、邦字紙記者として過ごした。
通夜や葬儀は行わず、火葬後に「お別れ会」を仏式で行う予定。19日現在で日時未定。
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