福岡県の炭鉱で働いていたことなど問わず語りに分かり、だが何故降格されたのか、佐世保で別れるまで打ち明けなかった。
復員後二年近く文通し、以前の炭鉱で働いていると小まめに身辺を知らせてくれていたが、いつしか文通は絶えた。私にとって彼は実に不思議な人物で、いまだに忘れ得ない。
二一、共産主義教育を受ける
明日からソビエト同盟連邦共和国憲法及び産業等について講義を始める。各班から受講者を一名づつ参加させるよう班長に伝達する=
回覧板が回ってきた。
東さんも保坂さんも、私に行けよという。返事をしぶっていると、他の連中も行ってこいよ、と同調する。部屋に寝そべって飽きもせず帰国と食物の話ばかりするよりは、変わった空気に当たるのは良いかもしれない。そう考えて受講することにした。暇つぶしになるだろう。それと共産主義やソ連という国の内情は、どんなのだろうかという好奇心もあった。
講師はソ連将校。中尉の肩章をつけている。流暢な日本語である。
ソ連憲法の解説から始まった。そしてソビエト国民はこの憲法に護られて、揺りかごから墓場まで幸福なバラ色の人生を送ることができる。世界は遠からず共産主義社会に変貌するであろう、と初日の講義は終わった。
講師の中尉は、帰ろうとして立ち上がった私たちに、
「班員に講義の内容をかならず伝えてください」
といって、教室から出て行った。記憶に残ったのは、全ての人民は働かねばならず、働かざるものは喰うべからず、という第×条かの憲法だけであった。班に帰った私は講義の内容を班員に伝えなかった。班員は誰一人講義のことには無関心で訊ねようとはしなかった。
二日目はソ連国内の各産業の発展状況が講義内容であった。
船舶は前年比××%増産
自動車は前年比××%増産
×××は前年比××%増産
こんな調子であった。減産になったものは全くなく発展、増産の素晴らしい%の羅列だけである。日用品に移り、鉛筆やノートの増産になった。私は手を挙げて質問した。
「鉛筆もノートも、前年比××%の増産をしたことは分かりました。私が知りたいのは、一昨年鉛筆は×××本生産したが、昨年は×××本生産した。そして、ソ連人民一人当たりの消費量は一年間で××本であるというような具体的な数字を知りたいのです」
講師の中尉は
「その質問の理由は?」
と、だけいった。
「私たちは栄養失調症で心身ともに衰えています。折角の講義も記憶力の減退で、班員に充分に伝えることができません。講義をノートにとれば、班員にしっかり伝えることができると考えたからです。鉛筆もノートも増産につぐ増産という講義でしたから、我々に鉛筆とノートを支給して頂ければと思います」
彼は一寸の間私を見詰めたあと、答えないで教室を出た。室内は騒然となった。
「いい質問だった」
「つまらんことをいったな。反ソ連的人物にされて、シベリアに逆戻りだぞ」
わいわい騒いでいると、中尉は上級将校を伴って来た。