「汚職は国を滅ぼさないが、正義は時に国を滅ぼす」という、日本では比較的有名な言葉がある。その言葉の主は「昭和の名コラムニスト」と呼ばれた山本夏彦氏(1915~2002年)だ▼この言葉は、正確には同氏が1980年に書いた「汚職で国は滅びなない」と83年の「正義は時に国を滅ぼす」を合わせたものだが、論旨そのものは前者でほぼ書ききっている▼それを要約して言うとこうだ。同氏によると、「リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、それらは商取引にはつきもので悪事ではない」とし、「それを貰う席にいないものは悪く言うが、それは嫉妬であって正義ではない」としている▼その上で「我々貧乏人はみな正義で、金持ちと権力ある者はみな正義でないという論調は、金持ちでもなく権力もない読者を常に喜ばす」とマスコミを批判し、さらに「戦前の新聞は政財界を最下等の人間の集団だと書くこと今日のようだった。それをうのみにして若者たちは政財界人たちを殺した。汚職や疑獄による損失は、その反動として生じた青年将校の革新運動によるそれと比べればものの数ではない。青年将校たちの正義はのちにわが国を滅ぼした」として、5・15事件や2・26事件を批判している▼コラム子がこの言葉と出会ったのは2017年の前半のことだ。ちょうどラヴァ・ジャット作戦で、連邦警察が民主社会党(PSDB)をターゲットにしはじめたときだ。このとき、コラム子は「まずい」と思いはじめていた▼ただでさえ、前年にジウマ前大統領の罷免で労働者党(PT)政権が倒れ、それを継いだ副大統領から昇進のテメル氏の民主運動(MDB)政権はPTより汚職の罪状が悪い。そこに、本来なら次期政権に手が届きやすかったPSDBまで浄化の動きが出てしまったら、この三大政党のバランスで成り立っていたブラジル政治はガタガタになってしまうじゃないか。そんな風に思ったからだ▼そうなると当然、「新しい政治勢力」に国民は関心を抱くこととなるが、その時にコラム子が危惧した存在こそ、ジャイール・ボルソナロ氏だった。ちょうど、アメリカでドナルド・トランプ氏が大統領に当選してまもなく、欧州でも極右勢力の台頭が懸念されはじめていた。この頃からブラジルでも既に、数多くの女性、LGBT、黒人差別で話題を呼びはじめていたボルソナロ氏を盛り上げる動きがはじまっていた。「従来の政治体系の崩壊の恩恵を受けるのが彼になってしまう」。そんな予感がしていた▼「正義を貫こうとするあまり、これまでの秩序まで壊れ社会が混乱するのでは、まるでフランス革命の後のロベスピエールの恐怖政治と同じじゃないか」。そんなことを考えていた矢先に、ネット検索で出会ったのが夏彦氏の前述のコラムだった。これを読んだときに軽い戦慄を覚えた。「この通りにならなきゃいいがな」と思った▼そして約1年と数カ月後、ボルソナロ氏は「PTの汚職」ばかりを国民に訴え、大統領の座にもう一歩のところまで来ている。そして7日の一次投票が終わったあたりから、自身や側近の政治家、さらに支持者の言動が過激化。今では毎日のように、「ボルソナロ氏を支持するか否か」をめぐり女性やLGBTの人の負傷事件が起き、「最高裁判事を罷免しろ」「最高裁の閉鎖など簡単だ」「左翼をこの国から追い出す」「自分が政権を取れば反対者は逮捕する」などの発言が飛び出すありさま▼それはおよそ「汚職の撲滅」の域を超え、民主政治の崩壊危機や独裁政治の誕生が危惧されるまでになっている。ブラジル国内のネット上では、ナチスが第1党となり、ヒトラーが首相に任命された「1932~33年のドイツ」と現在を比較して共通点を指摘する声まであがるまでになっている。(陽)