26日夜、退社前に主なネット記事に目を走らせていて、ある記事のタイトルに驚愕。何が起きたのかと調べ始めたら、帰れなくなった▼その記事は大学への司法介入に関するもので、10月30日付弊社サイトで一部を報じた。気になる事件は続き、サンタカタリーナ州ではジャイール・ボウロナロ氏支持者の新州議が「学校の授業を録画し、自分に送れ」と求めた。また、マッケンジー大学では、法学部最終学年生がボルソナロ氏の顔入りシャツを着て、「赤シャツの浮浪者(労働者党員)の顔が見たくてたまらない。即、殺してやる」と嘯き、黒人を脅迫する動画が流れ、波紋を呼んだ。この学生は受講を禁じられ、4カ月前から始めた弁護士事務所での研修も解雇された。法学部学生達は「こんな奴退学させろ」「こんな奴が将来、司法界に入るのか」と叫び、抗議行動を行った。サンパウロ総合大学でも、学生が武器などを見せ、労働者党支持者を脅す動画公開で物議を醸した▼
このような出来事や、ボルソナロ氏に票を投じたが後悔しているという人の事を聞いて思った。学校や大学で学ぶべきは、物事には多様性がある事や違いを学んだ上で自分の考えを持つ事、主義や主張の違いを認め、相手を尊重する事だ。社会主義や共産主義の存在や問題点を知っての批判は意味があるが、誰かが社会主義反対というから追随では自分がなさ過ぎる▼「学ぶ」という言葉の元は「真似をする」で、真似する機会がないと多くの事は学べない。学び舎は多くの人や多くの事に触れ、幅広い知識や人格を身につける場所。無秩序は困るが、教員達が教え、学生や生徒が知る権利を奪えば、民主主義は廃る。(み)