彼は私が遠いブラジルからわざわざシベリア墓参に参加したのは、同時にあの当時の仕返しをするためではないかと勘繰り、絶えず私の動向を見守っていたのだ。だから訊ねもしないのに小之原が死んだことや、モルドイ村からノーバヤに移った後は、将校も部下と同じように働いたんだと、喋った。そして別れる時、予約も払い込みもしていないホテルを持ち出して、私の気持をそらそうとしたのだ。
大建設会社の高松支店長だと言っていたが直ぐにばれるような嘘を、その場逃れのために口にした彼の性格を哀れに思った。
=余程私の仕返しを恐れていたんだな。だが私は四七年も昔のことを、未だに恨みに思い続ける程女々しくないんだよ。韓国人のように恨みを子々孫々に伝え、決して忘れない性格は持ち合わせていないんだ。枕を高くしてやすみな=
彼が飛び立った西の方に、そう呟いた。
(二)末娘に伝わっていた予知能力
本文で抑留記とは無関係に思われる、第一章と第二章に記した夢について、帰還後考え続けた。
正夢― あの夢と現実の一致は、八二歳になった現在まで、僅か一度経験しただけである。もしや守護霊というものが、夢の形で予知してくれたのかと、考えたこともあった。しかしラーゲリで痛恨を残して死んだ戦友二四三名の霊は、未だに何一つ語りかけてこない。
だからあの正夢は、私の中にほんの少しあった、予知能力が働いたのではないかと思うことにしている。
この正夢を友人知人に話したところ(既視感だよ)と軽くいなされてしまった。四つの夢のうち正夢にならなかったのは、数人の白人が会談していた場面だけだったから既視感でないことは確かである。
ところが生涯にたった一度だけ現れた私の予知能力は、あれから三八年後に、なんと末娘に変わった形で受け継がれていた。
一九七〇年サンパウロ州ピエダーデ郡の農場で生れた末娘が、三歳頃のことである。農業だから会話は天候に関することが多い。
一雨ほしいな、とか、二日も降り続くと、いい加減に止んでくれないかな、などの類である。
セッカが続きモトボンバは、連日早朝から夜半まで休む暇もなく唸っていた。そんなある日、傍で人形遊びをしていた末娘が、片言で、
「アシタ アメ フル」
と、いった。
九月から一〇月にかけて一滴も降らなかったから、彼女の一言が頭に残った。翌日一ヶ月ぶりの大雨に、大地は充分に潤った。それから注意していると、何気なく口にする彼女の天候に関する言葉は、いつもピタッと当たった。だが、こちらから訊ねる天候の返事は、当たらなかった。
真夏の昼下がり隣の奥さんが来て、家内は末娘を背負い玄関先で立ち話をしていた。はるか向こうに立っていた雨脚が、激しい勢いでひろがりながらこちらへ向ってくるのが見えた。家内は洗濯物をとりこみにかかった。
背中の子が
「アメ アッチ イク」
と、いいながら、右の方を指差した。まさかと思いながら洗濯物を取り込んだ家内が、雨の行方を見た。雨脚は末娘が指差した『アッチ』にそれていた。そんなことが数えきれないほど、二年余り続いた。やがて彼女の天候の予言はすっかり止み、今は夫と共に薬局経営と育児に専念する平凡な女性に変貌している。