「平成30年度百歳以上高齢者表彰」が18日、在聖総領事公邸で行われた。今年度中に百歳になる見込みで、かつ、存命の日本人3万2241人のうち、在外邦人は70人。在聖総領事館管内からはその半数近くを占める32人が表彰された。伝達式には本人9人が出席し、家族らと共に紀寿を祝した。
日伯両国歌斉唱の後、挨拶した野口泰総領事は「百年の長い道のりを歩まれ、その過程で並々ならぬご労苦、ご努力をされ、様々な苦境や苦難があり、同時に喜びや悲しみもあり、決して平坦ではない道のりを歩まれてきたことは、想像に難くありません」と話し、受賞者の益々の健康と幸せを願った。総領事から祝状と記念品が授与され、受賞者はしっかりとした足取りで立ち上がり、書状を受け取った。
「行け行け同胞海越えて遠く南米ブラジルに御国の光輝かす今日の船出ぞ勇ましく」――1927年に移住した鈴木アサ子さん(愛知県)は「渡伯同胞送別の歌」を朗々と歌い上げ、百年の歩みを振返った。「当時はまだ9歳半。学校のクラスの生徒が連れ立って、送別に来てくれてね。汽笛がボーボーと音を立て、溢れる涙を拭きながら港を離れた。あの光景は忘れられないわ」と語る。出航時の記憶が鮮明に脳裏に焼き付いている。
鈴木さんは、モジアナ線クラビーニョスなどを経て、戦後47年に新開地だった北パラナのジャタイジーニョに入植。原生林を開拓して珈琲栽培を始めたが、何度も霜害で損害を受けた。
「人生の下り坂に耐え、いつになったら上り坂になるのかと。いよいよ辛くなって、神に拝んだことも何度もありましたよ」と振返る。「でも、今ではブラジルに来て良かったと思う。子供達も親を大切にしてくれるんですよ」と笑みを浮かべていた。
ブラジル人の友人と共に来ていた大山ハルヱさん(長崎県)は「私はブラジル社会にどっぷり浸かって生きてきた。周囲もブラジル人ばかりだし、日本語も聞くのは少し分かるけど、しゃべれないわ」とポ語で話し、「一人娘もヴィトリア州にいるから、一人暮らし。周囲の支えがあってこそ」と感謝の言葉を伝えていた。
秋村艶子さん(熊本県)は「時々肩が凝ったり、血圧が上下したりするくらいで、病院にも通っていないし、いたって健康です」と溌剌と話す。「子供が9人、孫が13人、ひ孫は18人もいます」と誇らしげに話し、「子供が大切にしてくれるから元気に毎日を過ごせている。今がとても幸せです」と家族とともに喜びを噛み締めた。
同館管内からの受賞者は以下の通り(敬称略)。括弧内は本籍地。秋村艶子(熊本県)、深尾好野(滋賀県)、福田進(山口県)、平野アヤ子(福岡県)、堀越眞輝(長崎県)、星野明(島根県)、今川精逸(愛媛県)、治部正哉(滋賀県)、亀井ミチヨ(熊本県)、金田シズヱ(大阪県)、小堀冨美江(熊本県)、倉場玉子(和歌山県)、松本清江(熊本県)、宮口勝也(兵庫県)、宮平初子(沖縄県)、森田豊壽(高知県)、西村静枝(富山県)、岡田敏子(高知県)、大野ハツミ(岐阜県)、大山ハルヱ(長崎県)、﨑山美知(東京都)、鈴木アサ子(愛知県)、平良ナヘ(沖縄県)、堤良八(群馬県)、山崎達夫(長崎県)、吉田カツヱ(北海道)、他6人が非公表。
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鈴木アサ子さんに長寿の秘訣を聞くと「縫い物をするのが毎日の楽しみ。一日に7~8枚くらいは作っています」と話す。アサ子さんの息子によれば、用途別に応じた様々な小物入れや、皿拭き、エプソンなどを作っており、「母は一日中ずっと裁縫している。小さな裁縫工場さながら。〃サコーラ婆さん〃と呼ばれているくらいだよ」とくすりと笑う。頭を使いながら指先を動かす裁縫や囲碁、将棋などの知的活動は、神経細胞を活性化させ、認知症予防にも効果があると言われている。昔の記憶をすっかり忘れている受賞者もいるなか、百歳でありながらアサ子さんが能弁と語るのは、裁縫のお陰かも?!