ブラジル向けの日本企業は、移民の歴史と共に歩んできた。移民当初は政府委嘱の拓殖会社が植民地を設置、インフラ整備、農地の分譲、指導等を施してきた。移民の経済的安定に伴って金融、加工分野に進展し、加工業、銀行設立までに至った。KKKK、ブラ拓などである。戦前移民が頑張って棉の栽培が活発化した頃、隆盛を誇った日本の繊維工業の原料確保のため、商社が何社か進出してきて後続の道を開いた。
戦後、1950年代に入ると小中大を問わず、すべての業種のブラジル進出ブムが起きて、撤退したのも多いが、今では4~500社を優に越えているであろう。日本企業には進出を巡って投資先としてブラジルを選ぶに当たり、広い国土、日系人が多い、安い豊富な労働力、企業誘致の奨励政策がある、人種差別がない等、政治の安定など、良い事ずくめの先入観があるみたいで、それ行け、それ行けブラジルへと目白押しの状況を展開している。
だが、カルチャー・ショックと言う大きな障害を見逃しているのではないだろうか。それでは、長所と見られている条項を一つ一つ分析して見よう。
<1> 広い国土
ブラジルは熱帯亜熱帯地域にまたがり、その面積は850万平方キロ以上、日本の23倍以上の国土を有し、農業、牧畜は世界の食料を賄うだけの能力を秘めている。穀物や食肉の輸出では世界の先端を走っており、外貨もそこそこ貯めているは事実である。しかし国土が広いという事は果たして長所だろうか?
ブラジルの場合、大きなお荷物になっている。第一次産品の生産地が年々奥地へ移動し、生産地から消費地へ又は輸出産品の積出港までの距離が段々遠くなり、輸送コストが上がる一方である。
また輸送の殆どトラックに頼り、道路は最悪上状態で効率が悪い、大量輸送に適した鉄道は放ったらかし、穀物貯蔵のサイロ建設への投資、港湾整備やインフラが手付かずの状態でブラジル・コストを上げる要因となっている。
とはいえ、豊富な鉄鉱石の発掘から輸送、積込みまで一貫した機械化(鉄道を含め)が進み、そこそこの成績を上げている例外もある。
<2> 日系人の存在
110年の歴史を持つ日本移民は、この地に定着し今や200万人に近い、海外最大の日系人社会を形成している。日本企業がブラジル進出を検討する場合、現地に多い日系人の存在を重要視し、日本人同様に雇用出来ると期待するがこれが大きな誤りである。
110年の移民史を経てきたブラジルの日系人は既に日本人ではなく、異文化を持ったネイティブの外国人である事に気が付かないのだ。
この現象には深いわけがある。当初日本移民は出稼ぎのつもりでやって来て、短期で財を成し錦衣帰郷を至上の目標とした。そこでどんな貧しい部落でも、先ず日本語学校を建て、帰国後日本の子供たちに負けない学力を付けなればならないという事で、家庭内でも専ら日本語で会話し、極端な例はポルトガル語習得を二の次とした程であった。
専門の教師が居たわけではないので、部落の中で学歴の高いものを先生にして子供たちに日本語を教えた。適当な教師のいない部落では幼少時代軍歌を聞きながら、やっと田舎の小学校を出た親たちがお国訛りのきつい日本語を教えると言った涙ぐましい努力の場面もあった。
ところが1930年後半、世界情勢が厳しくなり始めた頃、ヴァルガス政権が押し出したナショナリズムで日本語使用が制限され、更に、ブラジルが枢軸国に対し宣戦布告した事に伴い全面的に禁止、日本語学校も閉鎖の止む無きに至った。
また終戦後、出稼ぎを諦め永住の選択にも迫られた。それまで日本の生活の延長を強いられ、ブラジル社会に同化する機会もなく閉鎖したコミュニティーに閉じ込められていた子弟たちの日本人離れ現象が発生した。
親たちが躍起になって教えようとした日本語も正規な学校ではなかったため中途半端で、日本企業から見れば一人前の日本人として扱えない存在なのである。(つづく)