70年代のイタリアのテロリストで、ブラジルに10年以上逃亡していたチェーザレ・バティスティ氏(64)が12日にボリビアで逮捕され、14日に身柄がイタリアに送られた。バティスティ氏の逮捕・送還はボルソナロ大統領が選挙キャンペーン中から公約していた。14日付現地紙が報じている。
左翼ゲリラのバティスティ氏は、1977~79年にイタリアで4人を殺害し、終身刑の判決を受けたが、90年代に国外逃亡し、2004年にブラジルにたどりついていた。07年にブラジルで逮捕され、09年に最高裁がイタリアへ身柄を引き戻す判断を下したが、2010年12月にルーラ大統領(当時)が、正式にバティスティ氏の亡命を許可していた。
しかし、昨年の12月13日に最高裁のルイス・フクス判事が同氏逮捕の命令を出したのを受け、テメル大統領が14日に、同氏の亡命は無効との判断を下し、強制送還のために必要な書類に署名した。
だが、バティスティ氏はそれ以前に既に国外に去っており、ブラジル内の捜索活動では同氏をみつけられなかった。連邦警察が、同氏が身の安全確保のため、左派政権のベネズエラやボリビアに渡ったと見なし、逃亡扱いとしたため、同氏の名前は国際警察の国際逮捕手配書のリストに掲載された。
バティスティ氏は亡命無効宣言から3日後の12月17日、ボリビア政府に保護を求めた。同政府に当てた嘆願書には、「ボルソナロ氏が大統領に当選後すぐ、全力を挙げて私を逮捕し、イタリアに強制送還すると言った」と書いていた。
結局、バティスティ氏は12日午後5時頃、ボリビア中央部のサンタクルス・デ・ラ・シエラで逮捕された。逮捕時はひとりで、特に抵抗も示さなかったという。
ボルソナロ大統領は13日朝、同氏逮捕の喜びをツイッターで語ると共に、労働者政権を批判。その後に、アウグスト・エレーノ大統領府安全保障室(GSI)長官、セルジオ・モロ法相、エルネスト・アラウージョ外相らと大統領官邸で同件について話し合った。エレーノ長官は会議終了後、「同氏の身柄をブラジルに戻してからイタリアに引き渡したい」と語った。
だが、イタリアがブラジルの意向を拒否し、自国の飛行機を手配したため、バティスティ氏はボリビアから直接イタリアに帰国することとなった。同氏を乗せた飛行機は、現地時間の14日11時30分(ブラジリア時間の午前8時30分)にローマに到着した。1993年以来、初めて母国の土を踏んだことになる。空港では同国のマテオ・サルヴィーニ内相やアルフォンソ・ボナフェデ法相も待っていた。
サルヴィーニ内相はボルソナロ大統領に直々に電話をかけ、バティスティ氏の逮捕に協力してくれた御礼を伝えた。