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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(5)

侍だった桜井松之助
2017年に墓発見

コロニー崩壊後はビアキャンプ家に仕え、生涯をカリフォルニアで過ごした桜井松之助(ARC提供写真)

コロニー崩壊後はビアキャンプ家に仕え、生涯をカリフォルニアで過ごした桜井松之助(ARC提供写真)

 おけいが亡くなった1871年までに若松コロニーがあったゴールド・ヒルには桜井松之助と増水国之助の2人が残った。
 会津藩士だった桜井は34年(推定)に生まれ、カリフォルニアに来た時は35歳だったとされる。
 若松コロニー崩壊後、桜井はビアキャンプ家に雇われ一家が運営する農園で働いた。ビアキャンプ家から厚い信頼と尊敬を寄せられていた桜井はおよそ30年、ビアキャンプ家に仕え、農園の責任者にまで昇進。1901年2月25日にこの地で永眠する。
 桜井の墓は長らく発見されていなかった。しかし2017年、近郊のコロマにあるパイオニア墓地で見つかる。
 ARCのタニモト氏によると言い伝えでは、桜井の墓の側には目印となる木が植えてあり、その木の下に彼は眠っているとされていた。しかし目印となっていた木が倒れてしまい、以来、墓の正確な所在が分からなくなってしまっていたという。
 しかし4、5年前、当時95歳だったビアキャンプ家の末裔パール・バトラー氏にARCが話を聞いたところ、彼女が桜井の墓の場所を覚えており、発見するに至った。
 17年に98歳で亡くなったパール氏が生前、ARCに語ったところによると、彼女の父エドルフ・ビアキャンプ氏が桜井の墓の場所を知っていたのだという。桜井はエドルフ氏の父つまりパール氏の祖父にあたるエグバート氏に仕え、その農園で働いていたという。

桜井松之助の墓(写真=吉田純子)

桜井松之助の墓(写真=吉田純子)

 桜井の亡骸はビアキャンプ家が埋葬し、墓はエグバート氏と妻メアリー氏の墓のすぐ側にある。17年に桜井が眠るその場所に墓石が設置され、住職を招き供養が行われた。
 67歳(推定)で亡くなった桜井は生涯結婚することなく、一人この地で生涯を終えた。侍だった彼は忠誠を誓った主人に生涯仕え、死後もそのかたわらで眠る。

地元女性と結婚した増水国之助
今もカリフォルニアにいる末裔

地元女性と結婚した増水国之助。今も末裔がカリフォルニアにいる(ARC提供写真)

地元女性と結婚した増水国之助。今も末裔がカリフォルニアにいる(ARC提供写真)

 大工だった増水国之助(1849―1915)は若松コロニーがあった場所の近くの町コロマにとどまり、当時コロマにあったコロマホテルやフレズノ別院の建設にも携わる。
 増水の結婚証明書によると、同じくコロナ在住のネイティブアメリカンと黒人の血を引く女性ケリー・ウィルソンと1877年12月28日に結婚した。
 大工だけでなく、その後は農家や漁師、魚屋のオーナー、通訳などの仕事をし、日本語と英語のほか数カ国語を話したという。そして66歳で死去しカリフォルニア州コルーサの墓地に埋葬された。

増水国之助の末裔のペニー・ユージーン・ギブソンさん(左)と弟のアロン・ギブソンさん(ペニー・ユージーン・ギブソンさん提供)

増水国之助の末裔のペニー・ユージーン・ギブソンさん(左)と弟のアロン・ギブソンさん(ペニー・ユージーン・ギブソンさん提供)

 その増水の血を引く末裔が今もカリフォルニアに住んでいる。ストックトン在住のペニー・ユージーン・ギブソンさん(54)と弟のサクラメント在住のアロン・ギブソンさん(50)だ。母方の5代先の先祖が増水となる。
 「いつも祖母がクニ(増水国之助のこと)のことが書かれた新聞記事をもっていて、自分たちが日本人の血を引いているということを話してくれていました」。そう語るペニーさん。「自分の先祖が日本から来た最初の入植者であったことは歴史の一部でもあり、特別に感じている」と話す。
 増水が所持していた日本らしい遺留品などは残されていないが、日本のどこかにいるであろう親戚に興味があるという。「いつか会津若松を訪れてみたい。日本には親戚がいるかもしれない。見つけられたらと思っています」と話してくれた。<羅府新報1月1日付け(https://bit.ly/2Cuy4xH)より転載、つづく>