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震災から8年、岩手県山田町=苦境乗り越え、取り戻した日常=(下)=生きるために働かなくては

現在の山田町

現在の山田町

 町の案内を快く引き受けてくれたトミさんは、娘の智子(さとこ)さん(67)が営む文房具屋に連れて行ってくれた。震災時、店舗は震災により引き起こされた火災で全焼し、在庫商品もすべて灰と化した。
 町役場が備品を必要としていたため、自身も被災していたにもかかわらず、業者から仕入れて販売した。そうやって地道に仕事を続けて再建したのが今の店舗だ。
 智子さんは「商品もすべて燃えてしまって、かえって良かったのかもしれません。綺麗にしたり、売り物になるか選別したり、そういう手間がありますから」と話す。
 記者が「店をたたもうとは思いませんでしたか」と問うと、「そういう考えはなかったです。生きていくために働かなくてはいけない。ただそれでだけでした」と話した。
 老舗の寿司屋「魚河岸」も津波で店舗が流されたが、4年前に営業を再開した。震災後、一家で盛岡市に移り住み、3年間、貸店舗で寿司屋を続けた。その間に新店舗再建のための資金繰りや建築許可の手続きを進めた。
 三代目となる店主は「山田が好きだから戻ってきました。これからが頑張りどころです」と話す。山田町は震災後、町外への転居者が増えたことで人口が約2割も減った。
 また復興工事のピークを過ぎ、全国から集まった現場作業員はほとんどが町から去り、かつての賑わいはもうない。店主は「苦しいのは確か。でも店をできるのはありがたいことです」と言って、カウンターに並んで立つ妻と顔を見合わせて笑った。

町議会議員になった菊地さん

町議会議員になった菊地さん

 山田町に住むもう一人の賛助会員、菊地光明さん(66)は震災時、町役場の職員だったが、退職して現在は町議会議員になっている。菊地さんは「復興は進んでいるが、まだ終わってはいない」と話す。
 町議会では今でも、復興工事など震災に関することが議題の半分を占めている。また、震災前は特産の牡蠣やホタテを求めて多くの観光客が訪れていたが、その数が減り地域経済に影響を与えている。
 一方、ブラジル岩手県人会やパラグアイの日系社会からの支援は確かに届いていた。県人会から千田曠曉会長をはじめとする関係者が訪れ、激励した。
 パラグアイからは大豆100トンが送られ、それを豆腐にして町内に配った。配送業者を経営する町議会議員の坂本正(ただし)さん(71)が運送し、仮設住宅に届けたところ大変喜ばれたという。
 菊地さんは「昨年の岩手県人会創立60周年に参加しました。震災をきっかけに絆が深まり、あんなに離れているのに近く感じます」と感慨深げに話した。
 今年3月で震災から8年を迎える。この間に人々はなんとか生活を立て直し、犠牲者を弔いながら、今も津波をもたらした海の近くで暮らしている。
 文房具屋の智子さんは「県内でも沿岸部の人はおおらかと言われています。その分、逆境にくじけないのよね」笑っていた。苦難を乗り越え日常を取り戻した今だから見せる、清々しい笑顔だった。(終わり、山縣陸人通信員)