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沖縄青年協会が総会と生年祝い=「ブラジルきて良かった」

元気に乾杯する皆さん

元気に乾杯する皆さん

 在伯沖縄青年協会(知念直義会長)は定期総会・新年会・生年合同祝いを1月26日午後、サンパウロ市の沖縄県人会本部で開催し、家族も含めて約60人が参加した。
 松本正雄さんの司会により始まり、知念会長は「今年もピクニックを行ないますので、皆さんこぞってご参加を。今年も楽しくやりましょう」と呼びかけた。金城幸吉さんが会計報告、神山義美さんが活動報告。19年度の活動予定として3月10日にシッチオ知花に行くピクニックは知念会長が担当、温泉旅行は石川繁さんが担当する。
 続いて新年会となり、知念会長に続いて山城勇さんがマイクを握り、「もっと元気良く、新しい良い年にしていきましょう」と呼びかけた。沖縄県人会の島袋栄喜会長も「青年隊はウチナーンチュのレベル向上に貢献されてきた。助け合い精神をみんなに伝えてくれた」と貢献を讃えた。
 沖縄産業開発青年隊は1957年に始まり、301人が海を越えた。松本さんによれば、「うち80人ちょっとが帰国し、100人近くがなくなった。116人が残っており、うち70人と連絡が取れる」という。
 宮城あきらさんは「50年代は沖縄に米軍基地がどんどん拡張されていた時代だった。当時の青年は高校を卒業しても就職先がなく、新しい土地で希望を実現しようとブラジルに渡ってきた」と説明する。
 比嘉賀俊さん(2次)は「米軍の支配下でやりづらい時代だった。それなら外国に出たほうがいいと22歳のときにやってきた。苦労はあったけどブラジルに来て良かった」と笑った。

出席した皆さん

出席した皆さん

 金城英助(きんじょう・えいすけ)さんも「高校卒業しても米軍基地にしか仕事がなく、希望が持てなかった。沖縄は地理的に〝運命の島〟。外国に侵略される場所。それならブラジルに来たほうがいいと思ってきた」と振り返った。
 その後、亥年85歳の「生年祝い」(トゥシビー)として次の人たちの中から出席者に記念の額が贈られた。与座清昌(1次)、川上清(1次)、棚原米次郎(1次)、新垣寛治(1次)、平良玉茂(1次)、松尾武次(1次)、新里栄保(2次)、砂川弘(2次)、小波津幸栄(2次)、比嘉賀俊(2次)、新城末子(2次、新城一夫)、宇地泊信吉(3次)、山田政紀(3次)、宮城新雄(4次)、上原順英(7次)、具志堅紀夫(9次)、仲川実留(訓練所)、新田喜作(訓練所)。
 その後、余興となり、三線の演奏に続き、カラオケを楽しんだ。