「もう、ダメか」――病床にて最期の瞬間まで沖縄に思いを寄せ、ご訪問叶わずに崩御された昭和天皇。その遺志を継がれ、地上戦で20万人以上が犠牲となった沖縄に計11回訪れ、慰霊の旅を続けてこられた今上陛下に特別な思いを寄せる人がいる。
沖縄県人会元会長で、糸満市米須出身の山城勇さん(90、沖縄県)だ。山城さんは、満蒙開拓青年義勇軍に入隊し、終戦後は大連で2年間の避難生活を経験した。本土に引き上げた後、58年に渡伯。激戦地となった沖縄からは、戦後だけでも約1万人がブラジルに渡っている。
「最初に両殿下が訪問された75年には、ひめゆりの塔に献花される際、過激派が火炎瓶を投げつけるという事件が発生した。皇室に対する複雑な感情がまだ残っていた時代だった」と重い口を開く。
だが、その事件の晩、殿下は談話をご発表された。《払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません》。そう決意を示され、その言葉を忠実に実行されてきたのだ。
山城さんが陛下に拝謁したのは、87年に県知事からの招待を受けて参加した沖縄国体。病床にあった昭和天皇の名代として臨席された当時の皇太子殿下を拝し、「大きな感激だった」と言う。
「遥々沖縄まで何度も足を運んで下さった陛下には大変親近感を感じている。昭和を引き継いだ平成は短かったという感もあるが、日本の象徴として余にも大きな重責を背負われ、苦労の滲んだ30年間だったのでは」と思いを馳せた。