「コロニア詩文学」の生みの親といわれた武本由夫が死去したのは1983年1月である。それから、時をおかずに「武本文学賞」が設置された。そして、本2019年3月の「第36回」をもって、「武本文学賞」は終了する。
かなり以前から、日系文学はどちらかといえば、まだ生存している文学愛好者の書き手を鼓舞するために継続してきた色合いがつよい。
会員の老齢化で、毎月のように、残念ながら字が読めなくなった、雑誌をたのしみにしていた老父や老母が死亡した、のしらせがとどく。子弟はブラジルでの高学歴者でも、日本語の読み書きはできない。移民社会が110年をへれば当然の姿であろう。
悩みながら、現在、会長の任にあり、編集を担っている私が幕引き役をやらざるを得ない。ありていにいえば、誰も最後の幕は引きたくないものであるが、きっちり、幕を下ろそうと考えた。
ブラジルは「海外最大の日系社会」といわれるが、日本語の読み書きが可能、あるいは日本語で書ける人口ははなはだしく減少している。そんななかで、日系社会にはブラジル日本文化福祉協会の「文芸賞」と弊誌の「武本文学賞」が、応募者がへっていくことを嘆きつつ併存してきた。
そこで、私たちは、まず文学賞の一本化を目指して(少人数を分け合う愚はよす)、いくども話し合いの場をもった。これは文協側の意志でもあり、そして、後援する「宮坂国人基金」のつよい希望でもあった。
武本文学賞の名称には、現在「ブラジル日系文学」の役員である武本由夫次男の憲二氏が、「武本文学賞が36年間も継続してきたことで、父の遺志は十分果たされたと思う」とのべ理解を示した。
したがって、今後、日系社会は唯一の文学賞(名称に関してはこれからすりあわせる)をもつことになる。弊誌における常連の応募者には、新しい文学賞を盛り上げてほしいと願っている。また、おそらく弊誌の選考委員諸氏もそのまま継続することになるであろう。
さしあたって、弊誌主催の文学賞がなくなるだけで、雑誌そのものに変化はなく,発行は継続される。ただ、私は80歳を目前に控えて肉体的(緑内障)にもむりがきて、好きだからだけでは継続が困難になってきていた。
すると、ポルトガル語ページの役員たちが、1966年の「コロニア文学」時代から考えればおよそ53年、同人誌として愛好者によって継続してきたものをここで終了するのはあまりに惜しいと、選手交替をかってでてくれた。
したがって、雑誌は継続する予定である。徐々に、横文字の作品がふえていくであろうが、とりあえず、1~2年は現状維持の形がつづくと思われる。
個人的には何年か前から翻訳に力を入れてきたのにも、その含みがあってのことである。若手のポ語作家を育成し、その作品を日・ポ語で発表する場として誌面を提供する。彼らは自分の作品が日本語になることを想像以上に喜びもする。ポルトガル語を自由闊達に駆使した優秀な作品がでてほしい。カズオ・イシグロもまた夢ではない。
当事者としては、何らかの形で「ニッケイの文学」が継続されれば、本懐である。文学そのものは、言語を選ばないのものだからだ。その引き継ぎ役としての任が私の立場であったと自覚している。今後とも、関係者諸氏の惜しみない声援を期待してやまない。(2019年3月記)
(※第36回武本文学賞は3月24日、午後2時から、例年通り宮城県人会で開催する。会員のみならず、文学好き諸氏の出席をまち、カクテルパーテイを開催するもので、ぜひご出席ください)