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ブラジル日系文学会=武本文学賞が最後の授賞式=中田編集長「ここから再出発」=新会長は桜井セリアさん

記念の集合写真

 「この賞がなくなるのはとても寂しい。立派な足跡を残された皆さん、ありがとうございました」――武本文学賞に長年投稿し活躍し続けた小野寺郁子さんは感謝の言葉を述べると、深々とお辞儀をした。ブラジル日系文学会(中田みちよ会長)が主催する最後の「第36回武本文学賞」が24日午後2時からサンパウロ市の宮城県人会館で行われ、受賞者30人をはじめ約80人が参加した。

 

 

 武本文学賞は「コロニア詩文学」の生みの親である故・武本由夫を偲び1983年に設置された。しかし近年は会員や応募者が減少し、同賞は文協主催の文芸賞と統合することとなった。雑誌はポ語編集者を中心に継続し、再出発をはかる。

 8歳で渡伯した小野寺さんは、式典で生前の武本由夫に文章を教えてもらったエピソードを披露。初心者の頃に懇切丁寧に説明してもらった思い出を語り、「自分が文章を書けたのも先生のお陰」と感謝を述べた。

 同賞の小説部門で「ある夏の日に(インド)」が見事に入選した大門千夏さんは、受賞コメントで「とても素直に喜んでいます」と微笑んだ。同作は、大門さんが北インドのレーへの旅の道中で見た美しい大自然を題材にしたもの。大門さんは、自分には残せる物はこれしかないと謙遜しつつ、「書いた物を孫、ひ孫が読んでくれるんじゃないかって」と作品を書き続けた理由を述べた。

 「コッパドムンド体験記」が随筆部門で入選、小説部門・翻訳部門で佳作を受賞する快挙を成し遂げたのは、稲村ひとみさん。「武本文学賞がなくなるのは寂しい。ここ(日系文学)は、小さな日本みたいな不思議な場所。これからもポ語にも挑戦しながら書き続けたい」と惜しんだ。

 武本由夫の隣りに住み、幼少期から親交のあった阿部玲子さんは「短歌を始めた時、武本先生から『辞めちゃいけない、続けなきゃ』と言われた」と回顧。「私は二世だから短歌を始めたお陰で日本語の勉強にもなって良かった。36回も賞が続いて先生も喜んでいると思う」としみじみと語った。

 中田編集長は「今後は桜井セリアさんを中心にやっていく。雑誌の後継者を作れて良かった」と安堵のため息。日系文学が続くにはブラジル社会にまで拡大することが必須だとし、「ポ語の方々に渡していくのが私の役目。ここから再出発」と締めくくった。

 受賞式では日本語5部門、ポ語4部門が設けられ、それぞれの選者が入選及び佳作を決定。中には入選のない賞もあった。来賓の宮坂国人財団の松尾治副会長や、中田編集長、新会長の日本移民研究者の桜井さん、武本憲二元会長が挨拶し、日系文学の今後の継続を願った。

 

 

◎大耳・小耳◎

 「残念、寂しい」という声が会場に聞こえる中で、短歌の選者を務めた小池みさ子さんは「よく続いたと思う」と語った。小池さんは、武本由夫が亡くなる1年前に短歌を始めた。武本文学賞にも応募をしており、「昔は南米銀行で受賞式をやっていて豪華だったんですよ」と語る。しかし今回の短歌部門の応募者は5人、更に俳句部門は1人しかいなかったとか。少し前には川柳部門も応募がなくなって潰れた。確かに、よく持ち堪えた方かもしれない。

     ◎

 今回ポ語のハイカイ部門で選者を務めたブラジル人の女性は、サントスで浮浪者を集めてハイカイを教えていたという異色の経歴。「でも教えても浮浪者だからすぐどこかに行っちゃって、なかなか身につかないんですって」と中田編集長は笑う。その他のポ語部門の選者も非日系人ばかり、式典の出席者も3割が非日系人。今後長く続けば、この比率はいつか逆転するだろう。日本語業界という意味では、邦字紙も他人事ではないと身につまされる式典だった。