房子がはやく家族や近所の人たちになじめるよう心を配った。幾三郎との破談は彼らに動揺を与えたばかりでなく、房子にも先のことは全く予想もつかない。配偶者と生活をともにするためにきたのに、その主人がいないのだ。
房子は結婚するしないにかかわらず、自分の生活環境に変化があったことはたしかだが、そのことでトラウマにおちいらないように、「もしかしたら、この先、もっと条件のいい人と結婚できるかもしれない」と前向きに考えた。
樽は先を見越していたから、二人の結婚を阻止した。いや、もしかしたら、すでに将来の妹の婿となる男が頭のなかにいたのかもしれない。時とともに彼女は仕事を覚え、環境になじめば、その男と結婚することが実現するかもしれないと思っていた。
樽は我女古幾三郎の健康についてはあらかじめ予想していた。戸籍上の妻ガンヨコ ウサがサントスに着いて6ヵ月後、彼は他界した。ガニコ カナ、ガニコ ナベの息子幾三郎の死亡通知は1931年1月14日、イビチンガ地方、タバチンガ市、タバチンガ区の登記所の記録書の3番、57ページ裏面、第C4番に記録されている。その前夜、11時に死亡し、死因は心臓科のシセロ医師により心臓弁膜症と記録されている。享年34歳、登録人は死者の友人ジョウチ タケシで、タバチンガ墓地に埋葬された。安里家から埋葬に参列したのは家長の樽だけだった。
不思議なことには、死亡証明書の戸籍上の身分にやもめと書かれていた。たしかに彼の最後の日々は「生きている妻」のやもめのようなものだった。房子は結婚もしないうちに、戸籍上は未亡人となってしまったのだ。
沖縄の宗教習慣では、夫が死亡したとき、妻が家の座敷にまつられた仏壇を守る役をひき継ぐ。仏壇のなかには名前を書いた位牌(沖縄ではイフェエ)が入れられ、毎日、うやうやしく仏壇にあげる水をとりかえる。また、特別な日にはあの世に行った人たちに食べ物をささげる。沖縄の人間は(他の宗教でも)信心深く、先祖を生きている者と同じように扱った。仏壇の前に線香をたき、先祖の冥福を祈った。それは何か問題が生じたとき、この世の人間がいつでも先祖の助言を受けられるためでもあった。
沖縄人は死者の魂(グアンス)を守るために、長男がだれに、またどんなときに役をあたえるか非常に綿密な基準をもうけていた。まず、長男が両親の魂を守る。子どものないときは結婚の相手がそれをする。子どものない大人が死んだときは甥がその役をはたす。非常に複雑なやりかただが、沖縄人はだれでも知っていた。
次男の場合、兄である長男の次男がその役をはたした。まだ幼い男子のときは両親が、そして、両親亡き後は長男が受けもった。そして、この祈りは死んだあと33年間つづけられ、はじめて役務から解放されるのだ。ブラジルに渡った初期の移民はこの習慣をきちんと守った。
その後、多少変化があり、後からきた者、つまり、政府が移民政策をとるようになってから、その習慣、考え方が違うものもいた。けれども、ほとんどその差はなかった。仏壇も住んでいる家のいちばん大切な部屋におかれた。
ところで、我如古幾三郎に対して、房子にもこのような責任があるのだろうか。彼女は経験のある兄にたずねてみた。
「おまえはごく最近まで沖縄にいたのだから、もっと詳しいだろう?」という答えが返ってきた。
「だから、おまえが決めることは正しく、家族のしきたりにあうんだ」
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