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特別寄稿=この国に移り住んで60年=貴方はしあわせですか?=サンパウロ市在住  駒形 秀雄

 私達多くの日本人が希望に燃えてブラジルに渡ってから60年近くの歳月が経ちました。そして、戦前にブラジルに来た親達と地方で農業に従事していた若者たちも、サンパウロなどの大都市に移り住んでからやはり60年前後が過ぎています。
 その年月の間には色々苦しい事や嬉しいこともありましたが、人の生涯に例えてみればもう還暦、一区切りの時期です。
 若い頃は無我夢中でただ仕事に、生活に闘っていましたが、今、老境に入り頭も体も弱って来たことが実感されます。その上さらに、日本を始め、海外の情報などが沢山入ってくるようになったので、つい今の自分の環境とを較べることにもなります。
 「この頃のブラジルは治安、モラルなどひどいもんだ。(日本は治安も介護も良いと聞くが) 一体、自分はブラジルへ来て良かったのだろうか? この土地を選んだ自分達はしあわせと言えるのだろうか?」。そう考えるようになります。
 「家があって、最新の車があっても人間のしあわせはお金だけでは決められないと言う。これからの余生、何とか心豊に、満足して過ごしたいものだが」その行く末に心は動きます。さて、この難しい(楽しい)? 問題、皆様と一緒に以下考えてみましょう。

▼貴方の国はしあわせですか

高齢者の夫婦

 知りませんでしたが、3月20日は『世界しあわせの日』なんだそうです。この日に合わせて国連の関連機関が『貴方の国の幸福度』を調べて発表しました。世界各国の・国内総生産(GDP)・社会保障・寿命・自由・寛容度・汚職・移民の生活の質、など多くを項目別に点数化して評価し、その総合点に基づき順位を付けたのです。相当信頼できる順位と言って良いでしょう。(別表―参照)

 

 

 

(表―1)世界主要国幸福度(2018年度)
資料・国連機関 (数字は順位)

1.フィンランド 2.ノルウェイ 3.デンマーク 4.アイスランド 5.スイス 6.オランダ 7.カナダ 8.N.ランド 10.オーストラリア 15.ドイツ 18.米国 19.英国 24.メキシコ 25、チリ 26.台湾 28.ブラジル 29、アルゼンチン 46.タイ 47.イタリア 54.日本 57.韓国 59.ロシア  86.中国 156.南スーダン/ブルンジ

 

 それによりますと、幸せな国の順位は①フィンランド ②ノルウェー ③デンマークなど治安も良く、生活水準も高い北欧の国々が上位を占めています。豊かさも、伝統文化もあると思われるドイツは15位、18位米国、19位英国と続きます。我がブラジルは24位メキシコ、25位チリ、26位台湾よりも下の28位で『チェ、何だ』というところでしょう。
 ところで世界第3位の経済大国と思っていた我等が日本国はというと、上位50カ国にも入らない、54位です。57位が韓国、59位にロシアが来るので間違いではありません。世界第2位の経済を誇る中国が86位となっているのは、『やっぱり幸せとカネは比例する訳ではないのかな』と思わされます。では156の調査国の最下位はというと、内戦で荒れるアフリカの南スーダン/ブルンジです。
 この調査結果について日本、中国、韓国など東洋の君子の国々が経済力の割りに評価が低かったのは「まずキチンと働くのが第一、遊びや芸能などは2の次だ」という考え方、また、先輩や上役などの上下関係を重視する東洋の風潮が「家族のしあわせが第一、仕事はそのための手段に過ぎない。個人の自由を尊重しよう」などの西欧型の選定基準と違っていたから(低く評価された)と見られています。
 また、この報告の中で日本は「友達が出来難い」『冷たい』『仕事と生活のバランスが最悪』とされており、これは日本への出稼ぎに行って失望して帰ってきた『日系人』の日本観と一致しております。留意が必要でしょうね。
 それにしても我が愛するブラジルも日本も客観的な『しあわせ度』は自分で思っていたほど高くなかったんですね。

▼山あり谷あり新天地

 夢と希望に溢れて移って来た新天地でしたが、現実はそう甘い物ではなく、半世紀ほどの間には色々な出来事で揺さぶられました。周りの事情が分からぬまま、ただ働いていた時代(1960年ー70年)は有難いことにブラジル経済も成長期。サンパウロなどの大都市では人口が急増して素人が商売などしても大抵ご飯は食べられました。働く気さえあれば金儲けの種はいくらでもあったのです。そしてこの時期に多くの日本人たちも生涯の伴侶を得、子供が授かり生活の基盤が出来ました。(表―2参照)

(表―2)ブラジル経済成長率(GDP―%)
(年次=%)
1960年= 8%
1961年= 7%
1968年= 9%
1969年= 9%
1972年=11%
1974年= 8%
2013年= 3%
2014年=0・5%
2015年=(-)3.7%
2016年=(-)3.6%
(注・数字は概数。年次は飛んでいるので注意を)


 しかし良い時ばかりではありません。1980年代にかけては月80%を超える高インフレにも見舞われ一般人はアップアップ、折角得た財産をアッという間になくした人が多数出ました。
 そしてこの苦境の逃れ道のように日本への出稼ぎ始まり、『故郷の様子を見たいね』と考えた人達も合わせ、日本詣でが急増しました。何年か働いた金で家を買ったなどと言う話が多く聞かれ、これが日本人の生活安定に寄与してくれました。
 本人等が現役を退いた後(2013年ー16年)には経済のマイナス成長(不景気)が来て、濃い緑と明るい黄色のブラジル国旗も色あせて見えることになります。新天地に移り住んで半世紀ほど、振り返って見れば『山あり谷あり』の人生で、苦労もなしの『しあわせ』は得られてなかった気がしますね。

▼日本(系)人はしあわせか

 それで、ブラジルに住む日本人、大都会(サンパウロ)で暮らしている日系人は今、幸せにくらしているのでしょうか。『しあわせ』と言うのはその人の感じるところに大きく左右されるし、日系人だけの特別の調査も基準もありません。それで、ここでは手に入る資料、多くの人達に聞いて見た結果を基にしてレポートして見たいと思います。
(A)若い時に苦労して来た人達、また、戦前に移住し慣れぬ環境の中必死に働く親達の背中を見ながら育った人達は総じて今、『しあわせ』だと感じています。
 以下、谷川某さんの意見です。「日本から船に乗った時はトランク一つ、自分の身体だけが元でだったが、いまになってみれば、自分の家もある。子供たちも十分な教育を受けて立派な社会人になっている。ブラジルは人種差別もなく、見ず知らずの我々を寛容に受け入れてくれた。有難い、良いとこへ来たもんだ感じている。それに私も自分の金で現代の日本を始め海外の様子を見ることも出来た。どの国にも貧乏人も居れば金持ちもいるんだと分かった。大農場主にはなれなかったが、それは夢の内、人間まあこんなとこかと納得もしていますよ」
(B)もう一つのグループはあまり他の日本人との交流も無く、一般ブラジル人達の生活に慣れ親しんできた人達です。このような日系人は周囲のブラジル人に同化し、始めから夢みたいな目標などは持っていない。「まあ、その日その日を楽しく過ごせれば良いさ。分かりもしない将来のことでくよくよ心配もしないよ」
 学校も仕事もマイペースでやって来たので「目標を達成出来なかった」などと悔やむこともありません。「ポリチコは皆ラドロン(泥棒)だ」とくさしながら、病気の治療も、交通の渋滞も『国や市がやってくれるだろ』と気長に待つ。そんなこんなでブラジル人的しあわせ感でおおむね満たされているようです。
 「それで?」日頃から世間話をし、社会問題にウンチクを傾けてくれる河合某さんにご意見を伺いました。「有難いことにこのブラジルじゃ、総じて日本人の評判は良い。『真面目に働き、頭の良い人も多い。その割にあまり出しゃばりをせず、人間関係を大事にする』と思われている。これが悪党や暴力犯が多いブラジルで我々を住みよくさせてくれる要因のひとつだ。この良い雰囲気を大事にせねばならない」
 「で、日系人は幸せか、だが今老境に入った多くの日系人はまあまあ家族との平穏な暮らしがあって、しあわせと考えているのでないか。泥棒が居ない(?)、汚職する政治家が居ない(?)日本と較べてこの国を悪く言う人達が居るが、日本には日本の、金満国アメリカにはアメリカなりの問題点も多く、幸せの優等国でもない。あまり他所と較べてどうこう言ってみても仕様がないのでないか」
 河合さんがまとめました。「地震も無い、ツナミも無い神の恵みに溢れたこの地で、五体満足で暮らせれば、それだけで十分と思わなきゃね。ものは考えようでしょう。今の自分の生活に満足して、これからの残り少ない人生を皆で楽しく過ごしたいものですね」(ご意見などは=> hhkomagata@gmail.com )