ボルソナロ大統領が3月25日、軍政のはじまる契機となった1964年3月31日の軍事クーデターを祝うよう国防省に指示したことに反対して、3月31日は全国規模で国民による強い抗議行動が起こった。1日付現地紙が報じている。
この日、少なくとも、全国10の州都とブラジリアで、軍事クーデターの起きた日から55周年を軍が祝うことに反対する抗議行動が起きた。
最も大きかったのはサンパウロ市のもので、パウリスタ大通りとイビラプエラ公園の2箇所で行われた。
この日は、軍事政権を祝う人たちの集会も行われたが、抗議集会の大半は、軍事政権発足を祝うことに強く反対する人たちによるものだった。
イビラプエラ公園では、軍政下で犠牲となった人や行方不明となっている人たちの遺影を手にした参加者らが、「ディタドゥーラ・ヌンカ・マイス(軍政は2度とごめんだ)」など、軍政に対する反対を叫ぶ声がこだました。
また、パウリスタ大通りでは、反軍政派と親軍政派が対立し、乱闘も勃発。この騒動で、ボルソナロ大統領の社会自由党(PSL)のカルラ・ザンベリ下議の側近、レアンドロ・モアレム氏が頭を殴られ、地面に倒れてもなお、蹴られるなどの暴力被害を受けた。
また、リオ市のシネランジアでは、反軍政の抗議集会に加え、昨年3月に射殺されたマリエーレ・フランコ・元リオ市議暗殺への抗議や、ルーラ元大統領の釈放嘆願なども行われた。
ブラジリアでは、軍政下の1970年代に実際に行われていた政治犯への拷問を再現した、逆さづりのパフォーマンスも行うなど、強い姿勢の抗議行動が行われた。
軍そのもののイベントは、「祝福」という行為に対する反対意見は内部でも多いことなどを反映し、「実際に起こった歴史を振り替える日」として慎重な姿勢を強調する人たちも目立った。
だが、司法当局がイベント差し止めを決めた3月29日には既に、国防相が用意した文書を読み上げるなどの記念行為が行われていた。ボルソナロ大統領本人はイスラエルに出向いて、この日はブラジルを不在にしたため、軍が実際に行ったイベントの詳細をとらえているかは不明だ。だが、25日の指示への反発が思いのほか強いことを見て、イスラエルに出立する前に、「祝う」という言葉を「思い起こす」と言い換えた。
他方、大統領府通信局が使用する、大統領府専用のワッツアップでは3月31日、クーデターを擁護し、この日を祝う動画が流れた。動画は2分弱で、ある男性が「あの日がブラジルを共産圏化から救った」とのメッセージを投げかけ、強い物議を醸した。また、ボルソナロ大統領三男のエドゥアルド下議もツイッターで同じ動画を流し、同様の主張を繰り返した。