再開したブラジリアンプラザが目指すのは「日本版文協」だ。林事務局長は、「単なる商業施設ではなく、在日外国人も観光客もここに来れば何かしらの答えが得られる。福祉、起業、観光の起点にしたい」と話す。
さらに、館内には90年以降のブラジルから日本へのデカセギについて紹介する資料館を開設した。説明文と写真でデカセギの歴史や労働環境、教育などの問題に触れるほか、実際にデカセギを経験した人の体験談も掲載している。
林事務局長は「これまでブラジルに渡った日本人移民について語られることは多かったが、デカセギについて知る機会はあまりなかった。外国人が増え続ける、日本でデカセギについて学ぶ意義は大きい」と力を込めた。
大泉町に隣接する太田市でデザイン事務所を経営する平野勇パウロさん(40)は、10歳で来日し、青年期を大泉町で過ごした。平野さんはかつてのプラザを「ブラジル人にとってのメッカだった」と振り返る。
2002年にはW杯決勝戦(ブラジル対ドイツ)の観戦会が行われ、千人近くがスクリーンに釘付けになった。そのとき平野さんは別の店で試合を見ていたが、ブラジルの勝利が決まるとプラザから歓喜の声が響き、興奮して町に飛び出したブラジル人が道路に溢れた。あまりに騒ぎに警察が駆け付けるほどだったという。
平野さんは「プラザにはブラジルの食や服を求め、祖国と同じような生活をしたい人たちが集まった。彼らにとって故郷のような場所だった。今はそういった場所がなくなってしまいましたね」と言う。
再開したプラザについては、「みんなが楽しめる場所になってほしい」と望む。「活気があったころはブラジル人の演奏家を集めてイベントを開催していた。再び皆が集まれる場所がほしい」とし、「大泉に住む外国人が求めているものにあった事業が育っていくのが理想ではないか」と話した。
大泉町でチーズ製造会社を経営ファリアス・ビルマルさん(56)は、5年前に富山県から移ってきた。「富山も好きだけど、大泉はブラジル人が多くて住みやすい。プラザのおかげで、ブラジル人同士の交流がさらに深まれば嬉しいね」と話した。
近年、大泉町ではペルーやネパールなどの住民も増えていて、再開したプラザはブラジル人に限らず各国の外国人が集まる場を目指している。外国人支援に重点を置くなど、地域住民の期待を受けながら、これまでになかった活性化の道をたどりそうだ。(終わり、山縣陸人通信員)
□関連コラム□大耳小耳
平野さんは「90年代と比べて、大泉における外国人と日本人との距離が確実に縮まった」と言う。当時、日本人の商店には外国人を歓迎しない雰囲気があった。平野さん自身、国籍がブラジルという理由で、銀行で口座を開設する際に身の上についてしつこく質問され苦労したという。現在はポルトガル語で商品名が表記され外国人も買い物がしやすくなり、口座も作りやすくなった。
◎
一方で、平野さんは「心の距離も縮まったかは疑問だ」とも言う。「外国人が増え、彼らを無視して商売をするのは得策ではないと気づいたのではないか。ブラジル人と日本人が同じコミュニティにいるということは少ない」。ただ、「お金のやり取りは信頼につながる。商業的なところから距離が近づいて、将来的に互いをより信頼しあうようになるのでは」との考えを示した。日本に住む外国人が急増する一方、本当の共存は長い目で見る必要がありそうだ。