ブラジル演劇界を代表する演出家のアントゥネス・フィーリョが2日、肺がんのため、入院先のサンパウロ市シリオ・リバネス病院で亡くなった。89歳だった。3日付現地紙が報じている。
1929年にサンパウロ市でポルトガル移民の子どもとして生まれたアントゥネスは、幼い頃に母親に連れられて見た演劇に夢中になり、サンパウロ総合大学法学部に入学したものの中退。本格的に演劇を志す。
1951年には「ジュヴェントゥーデ劇団」を結成し、サンパウロ市の市営劇場でチェーホフの演劇などを披露しはじめている。その後、ブラジル喜劇劇場のメンバーとなり、そこで演出家のジエンビンスキーに師事する。
自身の演出デビューは英国の劇作家ノエル・カワードの「ウィークエンド」だ。1958年に「アンネ・フランクの日記」の演出をしたところ、これが大ヒット。以後、売れっ子演出家となり、20年間で20本の演出を手がけた。
そして80年代、彼自身の代名詞的存在となる「劇団調査センター〈CPT〉」を旗揚げすると、独自の方法と技術で多くの俳優を育てた。また、90年代にかけては、「マクベス」や「ドラキュラ」などをヒットさせた。
彼の働きは演出だけに止まらず、「常に新しい演出法を模索し、ブラジル演劇界に新しい手法をもたらした」と称された。指導内容は脚本の解釈や演技のあり方など多岐にわたり、多くの俳優や演出家を育ててきた。
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