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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(94)

 政治家の多くは軍人たちの意見に感化され、東アジアの共通的関心ごとは日本、中国、満州を一独立国と解釈し、軍事、政治、経済、文化面において新しい秩序のもとに、連結されるべきだと考えていた。暗黙の理解により、当然、この統率者のリーダーは日本だと解釈されていた。1938年、日本政府はこの案件を発表した。
 ただし、この時点では野心的な案件とはいえなかった。ところが、その直後、大東亜共栄圏という理論が打ち出されることになる。日本人ファシストにより作成され、欧米諸国は「ニセの自由主義とか人道主義」の名のもとに、小国を脅かし、世界中に混乱を引き起こしていると告げた。日本が連盟の指揮をとり、アジア諸国が共に欧米諸国の圧力に対処しようと起案されたものだった。
 大東亜共栄圏はアジア諸国の連盟により、政治面では植民地主義と戦う。経済面では共存を目指し、ある国は石油や原料を供給、また、他の国はそれを使った工業製品を供給して経済面を強固なものにしようとうものだった。日本はこれまでいわれていたような大帝国をつくろうという魂胆などまったくなく、欧米諸国がこれ以上アジア問題に立ち入らないようにとの警告だったのだ。
 蒋介石がひきいる中国国民党と、毛沢東がひきいる中国共産党の政権をめぐる戦い、一方、ヨーロッパの経済危機に気をとられていた欧米諸国は、極東の政治情勢に気を配るどころではなかった。それが、中国への激しい日本の攻撃を容易にした。1939年のはじめ、日本は中国を欧米から孤立させようとした。
 まず、フランスが通商権利をにぎる地域にある海南を、そのすぐあとフランスとイギリスが権利をもつ天津を占領した。ヨーロッパで勃発した戦争が日本軍の侵略を容易にしたのだった。フランスもイギリスも本土での戦いに力を集中し、日本軍に抵抗できる状態ではなかった。そうして、1940年にはインドシナを通じて、南方への道を確保した。その年、南京を占領し、そこに中心機構を設置しようと試みたが失敗に終った。しかし、これらの主要都市を確保したことは、他のアジア大陸の国をコントロールするうえでは好都合となったのだ。

 正輝の日常はこれらについて話し合い、議論することにあった。けれども、人生というものは本人の好む好まざるとにかかわらず、また心の準備をしようがしまいが、偶発的にやってくる。
 そのなかでも正輝と房子の4番目子どもの誕生は彼らにとって待ちに待った出来事だった。セッテ大通りのアイスクリーム店を手放したとき、房子は妊娠していて、マシャードス区に移って数ヵ月後に出産した。正輝は出産の手伝いには馴れていた。3回とも無事に赤子をとりあげたのだから、生まれる間際になっても、心配することは何もなかった。
 この出産の3、4ヵ月前に安里樽から妹の房子宛に手紙が届いた。大人数に膨れあがった家族は、パラグァスー・パウリスタで綿とトウモロコシを栽培していた。房子に彼女の姪で、幼友達のウサグァーの家族を引き取ってもらえないかと聞いてきたのだ。樽の手紙によれば、主人の嘉数誠二が6歳の長男セイエイだけを連れ、妻に4才のキョーコと2歳のセイキの二人の子どもを押しつけ、家をでたというのだ。ウサグァーは日本から移住して以来、ルセリアで姉であるカマーのそばに住んでいた。子どもをつれてパラグァスにやってきたので、樽は精いっぱい面倒をみていたが、姪の性格の強さや、大家族を養わなくてはならない彼自身の立場もあり、これ以上は援助できない。叔母の房子に手をさしのべてもらわなければ、ウサグァーは生きていけないだろうと書いてあった。