ペラッツォ教授によれば大戦中、ブラジルでは日系人を中心に収容されたのはパラー州トメアスー移住地だけだが、独ナチス党員や伊ファシスト党員が特に多かった南伯ではドイツ移民だけで約5千人、合計1万人以上が強制収容された。アメリカでは日系人だけの収容所が作られたが、ブラジルでは枢軸国人が混在したのが特徴だ。
同教授はその時、「当時の外交文書から、ブラジル政府は米国から枢軸国人を強制収容するよう指示を受け、それに従ったことが分かっている。米国政府を満足させるためにやったことだが、その行為は明らかに人種差別に裏打ちされていた。だから白人でない日本移民は特に犠牲となった」と語っていた。
アメリカで強制収容された日系人の財産は放棄させられた。ブラジルにおいても、戦前の主だった日系企業や日系大農場は連邦政府に資産凍結され、中には清算されてしまったものもある。サントスの日本人学校も戦争中に接収され、完全に返還されたのはつい昨年のことだ。ノロエステにはまだ返還されないままの土地が幾つかある。
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ロッキーさんは続ける。「強制収容所に入れられた一世の7割がNoNoだった」。これは「忠誠心調査」と呼ばれる、1943年初頭に戦時転居当局が実施した、17歳以上の強制収容者に対するアメリカへの忠誠心を調査したもの。次の二つの質問事項が調査の核心であり、一番混乱を招いた。
《調査項目27》あなたは命令を受けたら、いかなる地域であれ合衆国軍隊の戦闘任務に服しますか?
《調査項目28》あなたは合衆国に忠誠を誓い、国内外におけるいかなる攻撃に対しても合衆国を忠実に守り、かつ日本国天皇、外国政府・団体への忠節・従順を誓って否定しますか?
当時、太平洋戦争において日本海軍は優勢を保っていた時であり、調査前年の42年には日本海軍潜水艦が米西海岸を攻撃した事実があり、日本移民にとっては「万が一、日本軍が上陸してきた時、アメリカ合衆国に忠誠を誓っていた事実がバレれた日本国籍を剥奪されるのでは」との恐怖心が働き、この27、28項に対して共にNoと答えた一世が7割もいたという。
ロッキーさんは「当時一世は大本営発表をラジオで聞いていた。この辺の対応から一世と二世の確執が深まるんです」と解説を聞き、米国日系人の苦悩の深さをうかがわせた。NoNoと答えたものはツール・レイク強制収容所送りとなった。
ロッキーさんはアメリカ陸軍に大戦中に編成された日系人だけの第442部隊(正式名称「第442連隊戦闘団」)の話に戻った。「442部隊は、200人の白人兵士を救出する作戦に動員され、その戦いだけで800人が死傷しました」と解説を続けた。
(つづく、深沢正雪記者)
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